シリーズ・フィリピンの闇

所持金残り:4483ペソ と3万円
(帰国旅費・ビザ更新料の取り置き16万円を除く)
予想滞在期限:2022年4月頃

 

 今週のお題「サボる」

ついついサボってしまいがちな歯磨き。

私もフィリピンに来て何本も虫歯を作ってしまっています。
大体のパターンは、仕事や作業やネットなんかに体力を割きすぎて、寝る前の歯磨きをする気力が残っておらず、夕食を作って食べてそのままバタン、それが生活パターンとして続くとと虫歯ができて歯医者さんにお世話になる、という具合です。
それがわかっているのなら、手を打つことができるのではと思うのですが、喉元過ぎればというやつで、また怠けてしまうのです。
それでも最近は、フィリピン国内の現金が枯渇しつつあるので、本腰を入れて日中の作業なんかをセーブして、コマメに歯を磨くようにしています。人間やはり健康な体が資本ですね。

 

今回より、『フィリピンの闇』として、これまでフィリピンで5年間過ごした中で「マジか…!?」とド肝を抜かれた事柄を取り上げ、シリーズでお届けしていきます。
毎回の投稿の末尾に箸休め的な感じで載せようと思っていたのですが、本編の方が毎回長く、今後も改まる気配はなさそうなので、独立してシリーズで掲載していきます。
初回である今回は、虫歯にまつわるものも含み、軽めのもの2編です。

 

 


 

 

シリーズ・フィリピンの闇 【子供の虫歯】  闇度 :★★★☆☆ ヒェ〜〜

 

 

写真は、コロナ以前に市場内にあるネットショップで友だちになった南国感120%の女の子。

  

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デジカメを貸してほしいというので、貸したところ、あちこち撮っていましたが、なんと自分の口の中も撮ってくれたようでした…。その前に虫歯の話をしていたからかな?

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写真ではピントが合っていませんが、全ての歯がうっすら 〜 がっつり虫歯になっています。

フィリピンではほとんどの子が虫歯だらけ。チョコレート、キャンディー、炭酸飲料など、虫歯にまっしぐらなおやつが、コンビニより近い距離に常時豊富に揃っているからです。

そして、貧しいのと、親の関心の無さで、少なくとも私の通う村では一人も治療した子がいません。私の銀歯を見ると、ゴールドなのかシルバーなのか、どこで、いくらぐらいしたかなど質問攻めに遭うのです。

私が行商に回っていたバランガイ(行政区域の名称、「村」くらいに相当する)の小学校でも多くの子が酷い虫歯で、口腔崩壊と言ってもいいくらいの子が何人もいました。
一年生にして、全ての歯が「溶けて」しまっており、入れ歯を外したお年寄りのようにフガフガと喋る子も。こうなってしまってはもう手の施しようがなく、来世にご期待くださいとしかやりようがないのでした…。

 しかし先日一年ぶりくらいに、その男の子に会ったところ、驚くべきことに、歯がきれいに生え変わっているのです。乳歯だったので今回はセーフだったようです。

でもチャンスはその一度きり、10代・20代で前歯のない男性・女性も珍しくありません。
村でチャーハンなんかを売っていると、近所の若い女性も歯が無いよと子供から聞き、丁度その女性が通りかかり、子供に何か言われると、口を開けて指を入れたかと思うと、いきなり小臼歯あたりの「部分入れ歯」を外したので、ひゃ〜、と情けない声を上げてしまいました。

 部分入れ歯も結構な金額がするはずで、そうなる前に食生活を改善したり丁寧な歯磨きをしたりすれば良さそうなものですが、そういった事項が彼らの家族の文化の中に取り込まれることはありません。

私が小学校に行っていた頃は、保健室の前なんかに県下全校に配られているのでしょう、きれいに印刷された「保健ニュース」みたいなものが掲示され、ひどい虫歯の写真や、虫歯になりやすい食習慣などが解説されていましたが、フィリピンの町村の小学校でそうした類いのものを見かけたことはありません。学校関係者の関心が低いのか、予算が足りないのか。まぁ掲示があったとしても、子供たちは何かを注意深く読む、何かの決まりを守る、といったことはできないので結末に変わりは無いのでしょうが…。

ちなみに、子供たちの中には、虫歯菌が無いということなのでしょう、全く虫歯の無い子が30人に1人くらい居ます。一生涯、歯のことで苦労しないのかと思うと羨ましい限りです。

 


 

 

【「健康ココナッツジュース」の中身】  闇度 :★★☆☆☆ ヒィ〜

 

フィリピンでは、ココナッツのことをブコと言います。町中では、手押し車にブコの実を山盛りに載せた屋台式のジューススタンドがいくつも店を構えています。
手元にある、物の本に拠りますと、「ブコ・ジュースは天然なので安心して飲める。これさえあれば人口の清涼飲料水などはまったく不要だ」とありますが、残念、これは違います。
一時間くらいブコ屋台を観察してみてください。途中で別のボトルから何かを継ぎ足していませんか? それは砂糖水なのです(2、3時間観察していれば、白砂糖をそのボトルに入れ砂糖水を作っているところも見ることができるかもしれません)。
私は何で気付いたかというと、国道沿いなんかにあるブコ店舗で実のままのやつをカットしてもらって飲んだことがあったのです(1個25〜35ペソ。タガイタイの近くでは産地ということなのか20ペソで売られている)。そうすると、屋台のものより、全然甘くなく、味が薄く、不味い。
ということは屋台の方は、砂糖を加えているはず。
張り付いて見ていたわけではありませんが、通りかかったときにはよく見るようにしていたところ、上のような塩梅であることが判明したわけです。全然健康じゃねーじゃん、マジかよ…。
わが町では、環境のために(?)プラカップは禁止、ジュースの販売には紙カップを使用のこと、となり、紙カップの方が仕入れ値が割高なことから、”中身”の方が減容となってしまい、そうした事もあって、私は最後に屋台で買ってから1年以上にはなります。

ブコの実のジュースの方は、時々買って飲むこともあります。
人間とは不思議なもので、こうした薄めの味なんだ、とわかって飲めば、まぁまぁおいしく感じます。というか1個の実には600〜800ml入っているので、本当に喉が渇いた時にしか買いませんから、おいしく感じるのかもしれません。
ちょっと薄めのスポーツドリンクみたいな感じで汗をかいた人間にはこれくらいの薄さが自然で丁度よいのでしょう。
飲んだあとの殻は、やや重たいですが持ち帰ってからの中の実を食べます。用意するのは切れ味のよいイタック(鉈)です。まず外皮を削ぎ切りにして内殻を剥き出しにしていきます。 次にその実の中心をを水平方向に沿ってコツコツと軽めの力で叩いていきます。そうして2周ほどすると亀裂が入り、てパカッと割ることができます。次にその半球を中を包丁で縦横斜めに切れ目を入れ、それからブコスプーンといわれる肉薄のスプーンで掬うようにしていけばブコの実が一口サイズできれいに切り出せます。
コップの中にブコの実を入れ、ハチミツを好きなだけかけて食べましょう。う〜ん、シアワセ!
(ブコジュースの最後の方で言ってたこと(これくらいの薄さが〜)と正反対だな、なんてまともなツッコミを入れているようではフィリピンで暮らしていくことはできません)

ちなみに、屋台の方のブコジュースですが、塩ひとつまみと、カラマンシー果汁を入れるととてもおいしくなります。

 

 

 

 


 

 

 

 

以下、シリーズ・フィリピンの闇

〇〇の死
コピー〇〇
路傍の〇〇偽造
イミグレ二重〇〇
〇〇崩壊
〇〇泥棒
畑の〇〇
潜入、〇〇工場
No〇〇ポリシー
〇〇をしても雇用継続
〇〇と〇〇と国民性
物乞いの〇〇
踏まれる〇〇
食堂、〇〇の時間はいつ?

 

といった内容を予定しております。

 

 

懐かしのファミコン動画

今週のお題「やり込んだゲーム」

 

フィリピンに長期滞在すると決めたときに、私が持ち込んだものの中にファミコンがあります。もちろん、お気に入りのソフトや未クリアのソフトもたくさん持っていきました。ヒマな時間を使って、子供の頃にクリアできなかったドラクエⅡをクリアできたのはいい思い出です。

しかしフィリピン3年目に、持ち込んでいたファミコン本体、ホケンのために買った互換機2ブランドの計3台が相次いで故障…。ACアダプタからの出力は正常なのでいずれも本体の故障だと思われます。
日本の皆さんは意識しないと思いますが、「電気の質」というのがあります。瞬間的に異常に高い電圧が加わることが途上国ではあるということなので、そうしたこともあるかもしれません。

 

さて、日本にいた頃、社会人になって時間のあるときにやっちゃった動画があります。

ファミコンで1987年(だったかな?)に発売された『新人類』というソフト。1ワールドのボスにも辿り着けなかったというコメントも寄せられているこの強制縦スクロールアクションを、ラスボスも倒し全クリ。その後なぜか1ワールドに戻るので、ちょっとだけ敵が強くなったそれもクリア(2周目)。…という具合で75周もやっちゃった、という動画です    ↓↓↓↓↓

www.nicovideo.jp

というわけで、私はこのソフトの第一人者、というのがちょっとした自慢なのです。
ニコ動のコメントは海外では再生されないのか、それとも単に日本語に対応したアプリが入っていないのか、見ることができないので少しさみしいです。

 

他、『SDガンダムGX』というスーファミのソフトも兄弟とやり込みました。
MSの間でコストパフォーマンスに大きな差があり、いくつかのMSを生産禁止にするのが通例ですが、
それに異を唱え、新しいルールを提唱したのがこちらの動画 ↓↓↓↓↓

www.nicovideo.jp

「ゲームのルールを作るゲーム」、「このゲームを遊び尽くした者が勝者だ」といった基軸を打ち出したつもりだったのですが、あまり反応は芳しくありませんでした…。

ようつべにもGXの動画を少し出しています ↓↓↓↓↓

www.youtube.com

久々に見るとどれも懐かしいなぁ。ずいぶん遠くまで来てしまいました。

 

 

昔のファミコンにはいい曲がたくさんありますね。時々聞いているのは

www.youtube.com

 

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www.youtube.com

 

www.youtube.com

といった辺りです。

 

 

「お題」に釣られて、今回は初めて?フィリピンとあまり関係のない投稿になってしまいました、スミマセン…

 

次回からは『フィリピンの闇』として、これまでフィリピンで5年間過ごした中で「マジか…!?」とド肝を抜かれた事柄を取り上げ、シリーズでお届けしてしていく予定です。 お楽しみに

 

 

 

 

フィリピン人とケンカ!





「マサ、リスペクトありますか?」

その言葉に一発でカチーンときた。許容の限度を超えている。
怒りの感情が湧いて、そしてそれが すぅっと冷静に、いや、冷徹になっていくのがわかった。

「誰が誰にリスペクトだって…?」

 


事の発端はこうだ。
私は氏の宅を訪れ、夕食の餃子を作っていた。
これは私の提案であり、また氏の希望でもあった。
もちろん餃子を作りにだけ行ったのではない。メインはウータン(借金)の回収である。前回の記事の次の訪問では500ペソの返済を受け、その次からは毎回250ペソずつ支払ってくれるようになった。
以前からも氏の住んでいる所に時々遊びに行って、日本の料理を振る舞っていたのであり、今回もそのように、集金の際には毎回違った日本の料理を作っていくことにした。

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これにはちょっとした私の思惑があった。
一つ目は単純に、顔の広い氏にコンスタントに日本の料理を提供していれば、SNSで紹介してくれ、私の新しいビジネスの種にならないか、というものだ。
二つ目は、氏から直接に注文を受けられないか、というものだ。以前もいろいろな料理を氏には作っていたが、ここに来てから作る料理はその重複を避けるようにして、もしおいしかったものをもう一度食べたいとなったときは、「え〜、有料だよ」と応じればよい。
以上の二つは、私の直接的な目論見であったが、三つ目はお金は産まないが確実で、また大切なことだ。
私の料理を食べて「おいしい!」「うまい!」 と氏が口にした数をこっそりカウントするのだ。これで、フィリピンの人に私のそれぞれの料理がどれくらい支持されているか数字で明らかにすることができる。
氏を半分騙すようでやや心苦しいが、今からサンプルを採ります、と被験者に伝えてしまっては本当の結果を得ることはできない。まぁ、多少の食材費を貰うこともあるが、生粋の日本人の手料理を格安で食べられるのだから、それこそ「おいしい話」であり、これでよしと勝手にさせてもらう。
というわけで、8月12日現在、私の手元には「24」に及ぶ提供メニューに対し、「98」の氏の「いいね!」基い、「おいしいね!」が付されたデータがある。

 

――話が大きく逸れてしまった。
氏は現在の住居の近くに、大金持ちといっていい友人を持っている。歩いて行ける距離なので、この人に 大なり小なり寄生するためにここに住んだのではないかと疑ってしまうほどだ。というか、実際に無料でいろんなものを貰っている。氏は基本的には人当たりがいいので、すっと人の懐へ入っていき、嫌がられることはない。
私も長引くコロナ禍のなか、お金などは無いよりあった方がいい。このお金持ち氏からまとまった注文でも入ればそれに越したことはないと思っていた。
氏に幾度か料理を作ってあげるのだが、その度にこの友人を呼ぶ。それはいいのだが、私の作るものは中華料理や冷やした料理が多いので、出来てすぐに食べてもらわないと、どんどん味や食感が落ちていく。それを食べてもらっても、どうも100%の質を体験してもらえないと思うのだ。お金持ち氏もフィリピン人なので、フィリピーノタイムなのである。それを毎回、今や遅しと待つわけだ。車が到着、席に着いたかと思いきや、そこからさらに、敬虔なアサーワ(配偶者)氏により、食前の信仰の時間が始まる。10分以上かけ、英語で何やら感謝だか懺悔だかの辞を もごもごと述べている。空腹であっても私はそれが終わるのを待たねばならない。

氏は、日頃お世話になっていることの均衡を取る意味も含めて、珍しい日本の料理なんかを食べてもらいたいということだろう、毎回この友達を呼び寄せるのだ。そして、万全ではない料理が彼らの口に入っていく。日本料理って言ってるけど大したことないな、なんて逆効果になることはまっぴらなので、私は氏に訳を話し、友人を招くのはもう止めにしてくれ、宅に出向いて、着席を確認し、それならそこで料理を作る、と釘を差した。

そんなことがあってからの、今回の餃子作りである。冷凍食品の餃子の皮は売られてはいるものの、食感がいまいちで、皮から手作りすることにしている。結構時間がかかるのだ。そうして、ようやく餃子が蒸し上がってライスも並べたところに、氏は「じゃあ、ジョーイさん(お金持ち氏)のトコロ行くか!」と言ったのである。この人物は、本当に他人の意思や意向を尊重するといったことがない。わがまま、セルフィッシュなのだ。
私は氏のポケットモンスターになった覚えはないので、先日の話を早口で手短に繰り返し、「私はここで食べるから」と、中学生になっている彼の息子と餃子を食べることにした。息子氏は父から簡単な日本語の挨拶程度は教わっているので、「オイシイなぁ」とか言って食べてくれた。

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氏への説明の繰り返しに加え、写真を撮っていたこともあって、この時点でフライパンの蓋を開けてから10分は経過しており、餃子の皮が乾き始めて、おいしさは既に2割減になっているように感じた。私の作った皮が不完全なのかどうか わからないが、とりあえず食べる直前まで蓋を取ってはいけない、というのを勉強したわけだ。
氏は、夫妻の来るのを待ち、一緒に食べるようだ。私のお願いは無視する形になっている。夫妻が着く頃には、そこら辺の冷凍食品かそれ以下の味になっているだろう。

 

そろそろ友人夫妻が来るということで、氏は食べ終わった私に、机の上に白く散らばる小麦粉をワイプするよう言ってきた。氏の宅にはまともな雑巾といったものがない。洗ったあと、絞ることも乾かすこともないので、ゴキブリがたかり、脂ぎって、黒ずんだボロ布なのである。私はそんな物を触るのは御免だし、余計に机が臭くなるだけだ。そうでなくとも、机の表面は凹凸がデザインされているので、拭くのではなく水で流さないと駄目なのである。最近も一度そうして掃除した。

「あなた、手、空いてないですか?」餃子を3時間かけて作っていたのは私だ。氏も仕事を何かしていたのかもしれないが、いま現在はただ友人を待っているだけだ。
「ワイプできないですか?」と氏。先程の、「手短なやりとり」で、自分の思う通りにいかなかったのが気に食わなかったようだ。

「水で流さないと駄目だから明日ね」、と返す。
「ワイプできませんか? 今ここ、ジョーイさんと食事。」
私は息を吸い込んで、ふぅっと大きく吹き、2、3ヶ所の白い粉を机上から追いやった。「あとは明日ね」

「ワイプ、難しいですか? ゲスト、今来るでしょ? お願い、聞けませんか?」
その「お願い」破っているのは、どっちだ。

私はこれ以上のことを今するつもりは毛頭なかった。

 

 

一向に動く気配のない私を見て、氏はこう言った。

「マサ、リスペクトありますか?」

え? 「リスペクト」…。

私たちの間で「リスペクト」という単語が使われたのは、これが二度目だ。
私はその「一度目」の場面をすぐに想起した。


私は氏に歩み寄り、努めてゆっくりめに言った。

「誰が誰にリスペクトだって…?」

 

 

 


 

 

 

遡ること1年近く。
氏は、当時住んでいた会館が、コロナ禍もあって、資金回りが悪くなったのか、建物全体が売りに出され、当然その隅を間借りしていた彼は、転出を余儀なくされた。

次の住居を探しているというタイミングで私がコロナ禍の中、のこのこ会いに行って、その際にその相談をされた。
私は丁度、オーナー一家のマダム氏と仲違いをして、同じ敷地に住んでいるのが嫌気が差し、そのワンルームから畑に移り住むところだったので、その私の畑の他の、大半の面積を、オーナー氏が建てた畑の小屋込みで移り住んだらどうか、と提案をした。氏は渡りに船とばかりに興味を示した。
氏は執拗に、その小屋で一緒に住もうと言ってきたが、費用を折半させて自分の住居費を少しでも安くあげよう、そして日本人に毎日のように料理を作らせてそれにありつこう、という魂胆が見え見えだったので、私は私で小屋のようなものを建てて住むから、と丁重にお断りした。

 

オーナー一家と私たち二人は関係が深い。私がこの町に移り住んで、その始めに一年ほど身を寄せていたのが浜に近い氏の宅だったのだが、その小さな貸家のオーナーというのが今回の一家なのである。

当時60歳くらいのオーナー氏は、時々マウンテンバイクに跨がり、浜の村の方まで来て、私に会えば英語で少しだが話しをしてくれた。村には「バランガイ・ガーデン」という村営の畑があって、面積も全く狭く、ほとんど何も植わっておらず看板だけのそれを、私が耕していくつかの作物を植えていると、それも時々見に寄ってくれた。

浜の宅で同居していた私たちは一度ケンカ別れをしており、その後 私は町の国道近くなど、氏の宅で払っていた家賃500ペソの何倍もするような所に住まざるを得なかった。家を探す期間も伝手も限られていたからである。それから一年近く経っただろうか、地元の小学校の前のサリサリで、マウンテンバイクのオーナー氏に偶然会い、今どこに住んでるの? と声をかけられた。家賃も訊かれたので、前は6000ペソ、今は3500ペソの所です、と返答すると、自分の敷地内で住めるところがある、家賃は要らないから来ないか、ノープロブレムだ、と願ってもない提案をしてくれた。結局奥さんに決定権があったようで、1500ペソの家賃が設定されたが、このオーナー氏はバランガイ・チーフ(村長)の従兄弟ということで、自身も以前は村議員を務め、しっかりした身元なので、心身両面、安心して暮らすことができた。引っ越しを済ませ、銀行口座の開設にも同行してもらった。

 


そうして2、3年平穏に暮らしていたのだが、オーナー氏は2020年4月、肝臓などを悪くし、コロナ禍で市の病院が混んでいたのもあったのだろうか、入院して10日足らずで帰らぬ人となってしまった。つい先日まで、建築の仕事をしていたはずで、本当に信じられなかった。
葬儀も、もっと多くの人たちに見送られるべきだったのに規制が厳しい折、孫の参加すら無い、ごく少数の親近者だけの葬送となってしまった。


というわけで、現在はマダム氏とその長女だけが家に残っているという状況だった。
この一家から、氏が小屋と畑を借りようというのである。
しかし、ひとつの大きな問題があった。
マダム氏によると、氏が浜の村の貸家を、最後の2ヶ月の家賃を未払いで出ていったのだという。締めて2000ペソ也。
それを同じ敷地に住んでいる私に、しばしばマダム氏は愚痴るのであった。
まずこの問題を解消しないと、氏のマダム氏との接見は実現しないだろう。

 

「のこのこ会いに行った」その時だったか次の時だったか忘れてしまったが、その日、氏に会って、初めにオーナー氏が先日に急逝したことを伝えた。すると、氏は「え? 2000ペソ、(オーナーに)払ったよ?」と言い出した。
折りに触れ、私は氏に、マダム氏が2000ペソ払っていないって言ってるよ、と氏に伝えていたのだが、最近までもオーナー氏に2000ペソ支払ったなんて話は氏の口から聞いていない。

 

氏は私が表情を読むことのできる唯一といっていいフィリピン人だ。怒っているときの顔、嘘をついているときの表情、困って苦笑いしているときの表情を読むことができる。

今回はその、微妙に嘘をついているときの表情である。いつ現金を手渡したのか、レシートはあるのかなど質問を続けたが、無駄なことであった。

これは、死人に口無し、自分の金のために 謂わば死者を「使って」いるわけで、さらには 氏に勝るとも劣らない私の恩人に対する冒涜であって、到底看過できるものではない。

「あなた、それ、嘘だったら 死んだ人を「使って」いることになるよ? 死んだ人に対するディスリスペクトだよ? わかる? オレ、フィリピンに来て、今 一番怒っているよ?」
と、近くにアキラ先輩氏の動画*1で聞いたばかりの英語を交え、氏に抗議した。
氏はそれでも自身の主張を翻すことはなかった。


私は知っている。あの一家の「Boss」はオーナー氏ではなくマダム氏である。オーナー氏が手にした収入は全て、一旦マダム氏に納められているのではないか。
そうした中で、氏からの集金の分だけ、オーナー氏が報告せずに自分のポケットに入れるということがどれくらいあるだろうか。

金にガメつい者同士のケンカを見るのも一興だったが、氏にあなたは知らないだろうけど、と上記のことを話してみた。
これがその通りなら、氏は嘘つきを色濃く疑われ、それは死者を冒涜したものでもあるから、今後は一切出入り禁止、いやそれ以上に発展することになりかねない。

しかし、まだ氏は自身の話を変えようとはしない。まぁいい、これだけの「スペシャルアドバイスだよ?」という話を受けて、マダム氏との面会の当日に氏がどのような話をするのか。

「よく考えといてよ」

そう言って私は氏の会館を辞した。
おもしれぇ、やってみやがれ、というわけである。


オーナー氏の死を私から聞いて、氏が「以前に支払った」と答えたのは嘘とは思えないほど、早く、そして自然だった。多くの人はそれは本当なのだろう、と思うくらいだ。
しかし、そうではない。
40年以上生きてきた彼の頭の中では、死んだらその人に関する借金がチャラにできる、というモジュールが既に存在し、そうした話を聞けば、すぐに回答の用句が生成されるのだろう。


ちなみにその何回目かの残債の話のときには、氏はこうも言っていた。
「マサ(私)は、一家の所に今住んでて、たくさんの家賃を一家はもらっている。それは自分の紹介があったから。だからいいでしょ。」
たしかに、氏が私をこの町に連れてきたのは間違いない。そしてその縁で一家の世話になって、一家もそれで利益を得られたことも。
「紹介」があったから2000ペソをオマケするのもいいだろう。でも、
「それをジャッジするのはあなたなの?」
私はそう言ったが、蛙の面に水であった。

 


 いざ、その面会の当日。氏は、一家の近くにある畑を待ち合わせ場所にし、私と一緒にマダム氏の所へ出向いた。

氏は、借金未払いを謝ることなく、他の挨拶などをして畑の大部分と小屋を借りる話に入っていった。マダム氏もそれには触れず貸し賃の話などをしていく。
最後の方で、未払いの件を氏が謝罪したようで、マダム氏がネバー・マインドと言うのが聞こえた。

そしてその「謝罪」は、一家に対し嘘ついて自身の債務を免れようとしたことを、同席している私に認めた瞬間でもあった。

本当にどうしようもない人物だ。

 

 

 


 

 

 


「マサ、リスペクトありますか?」

目がギョロっとなり、怒りつつある表情だ。


氏の発言は反語疑問文であって、リスペクトしてくださいよ、という意味である。

「リスペクト」というその言葉に、私は敏感に反応し、以前の私たちの間で「リスペクト」が使われたシーンを思い出した。

 

そう。私の見る限り、リスペクトするということからも、リスペクトされるということからも――つまり「リスペクト」という単語から最も遠い人物が今、自身にリスペクトを、と言っているのだ。

他の、これまで/これからの利害に関すること全ては、勘案しなくてもよいように思えた。


私は氏の疑問文に、疑問文で返す。

「誰が誰にリスペクトだって…?」

抑えた調子で言った。

普通に生活していては、この一行はでてこない。自分の耳にその自分の声が入り、
急にヤクザ映画でも始まったのか?とおかしなことを思った。*2

 

以前の「ディスリスペクト」と同じような単語を使ってしまったことに思い当たり、しまったと思ったのか、それともそんな遠くの話はもう頭になく、単に私の言行にたじろいだのか、80キロはあるであろう巨漢は僅かに怯んだように見えた。

私の問いに、まだリスペクトがどうのワイプがどうのと言っている。

「先生が、子供に向かってリスペクトしなさいっていうのは わかるよ? でもオレはもうオトナだよ。誰をリスペクトするか、それを決めるのはあなたなの?」
前にもほとんど同じ発話を同じ人物に向けてしたな、と思った。
続けて 
「あなたは私にリスペクトありますか? 私のお願い、聞いてくれましたか?」
と完全に反撃に転じる。
氏は、ちょっと強めに注意すれば言うことをきくと「リスペクト」の発言をしたのだろうが、とんだ逆襲にあった形だ。これ以上、話をしても分が悪いことは明らかだった。


まだ「ワイプ難しいですか」と言っているので、「ワイプすればいいんでしょ、簡単だよ。そのあとトークの続き、いいですか」と追い打ちをかける。話はこれで、小麦粉のワイプの件から、氏の「リスペクト」の件へと移るはずだ。

洗い場の方へ行き、あまり黒くない方の雑巾を持って、机の粉の辺りをざっとひと拭きする。

再び氏と対峙したそのタイミングで、友人夫妻の車が店の前に止まった。

私はレストランの隅の机に移りノートを広げたが、夫妻に同席するよう誘われ、そちらに行った。夕食は済ませたので、と書きものをして過ごした。夫妻は、私たち二人が今晩はあまり喋らないな、と思ったかどうだろうか。

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夫妻の車を二人で見送ったあと、いつものように店の前のフェンスを無言で二人で閉めた。

その後、野菜の売り場の方から戻ってきた氏が声を掛けてきた。手には、その日の店の売上げ、1500ペソが握られている。ウータンの返済だという。

「えっ、でもこれ…」と言いつつ受け取った私に、氏はケンカ以外の言葉をかけてきた。私は氏の友達だ、ということで、明確な謝罪の言葉まではなかったが、和解となった。

私も「あなたは私のインポルタントな友達だよ。この町に来たのもあなたが紹介してくれたからだし…」と鉾を収めた。

友人夫妻が来て夕食となったことで、二人の頭を少しクールダウンする間ができたことが良かったのかもしれない。これがなければ、どちらも譲らず、二度目の喧嘩別れになっていた可能性も高い。本当にジャストタイミングだった。


氏は、あまりしんみりしないよう、わざと明るく振る舞って「明日、あした」と言って2階の住居部へと消えた。

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誰もいないレストランで、渡された二枚の紙幣を見つめ、私は考えるしかなかった。

コロナ禍もあり、ほぼ自転車操業の状態になっている現在の氏の店において、売上げはそのほとんどを次回の仕入れに回さなければならないはずだ。それを私に渡すということは、もう仕入れはしない、つまり店を畳む、ということではないのか。
もうひとつ。250ペソずつ返していたウータンは、これで一気に完済である。これは、借金はもういい、料理もいいから、今後はもう来ないでくれ。そういうことではないのか。

翌朝に真意を訊いて、1000ペソは後でもいい、としてみるかと決め、いつも寝ている壁向かいになっている席の日中に積もった粉塵をペーパーナプキンで拭いて、横になった。

しばらく考え事をしていたが、何だか私にとって事が上手く運びすぎる。
嫌なことに気がついた。彼は町役場の他、警察方面にも顔が広い。今晩にでも、翌朝にでも、警官の知り合いに電話をして、店の売上金が1500ペソ足りない、と通報すればどうなるか。パトカーが急行した時点で、その同額が私の財布に収まっていたら…。

私に言い負かされつつあった氏が、本当にすんなりこのまま事を収めるだろうか?


ここはフィリピン。修羅の国である。

万が一、いや30%くらいで起こりそうなこの線を消しておくために、私はもらった紙幣を、席の下の、造り付けの悪い隙間の所に隠しておくことにした。翌日の、帰る間際に回収すればいいだろう。これで安心して眠ることができる。万全だ。

 

眠りに落ちるまで、また今日の一連を思い返していた。

それにしても氏は気付いているのだろうか。
私が「インポルタントな友達だよ」としても、「リスペクトできる友達だよ」と最後までしなかったことを。


なんのことはない、氏が私を利用しているのと同じ程度に、私も氏を利用しているのである。







今週のお題「自由研究」 ――フィリピン人とそのキャラクターについて

*1:ATMの操作ができなかった支店長氏から、態度をDisrespectだ、と詰め寄られたクダリ。今は動画が見当たらず

*2:氏からは時折ふざけて、人に私を紹介するときに、ジャパニーズ・ヤクザのマサさんです、なんてやっているけど、冗談じゃない、フニャンとした顔の品行方正な(?)日本人である

「これがフィリピンビジネスだよ!」

今週のお題「自由研究」


今回・次回と、私のフィリピン研究として、私の友人を通してフィリピンの文化・行動様式を見つめたいと思います。
私は毎日ノートに日記をつけているのですが、人の名前を記載するときは年齢・性別に関わらず「○○氏」と記します。空々しいことではあると思うのですが、敬意そして一定の距離感を自分に刻むためです。
その中で唯一、単に「氏」と書き記されているのが、今回登場するフィリピン人男性です。人懐っこく、行き当たりばったりで、お金とおいしいものに目がなく、嘘つきで、誠意が微塵も無く、それでいてどこか憎めない。まさにフィリピン人の特徴を全て表したような人物だからです。フィリピンに居られる方は、そうそう!と思われるでしょうし、日本にお住まいの方は、そんな人たちがこれから日本にたくさんやってくるのか、と見て頂ければ幸いです。

 







しばらく前になるが、メトロマニラから現在の町に居を転じることになったきっかけとなったフィリピン人男性(現在46歳、日本で働いたことがあり、日本語で大体の日常会話はできる)から借金のお願いがあった。
国道沿いで野菜と果物のショップを、自身がボスとなって開くらしい。それにあたって、電気の工事だか申請だかの支払いの分だけ足りないという。
額面は3000ペソ、返済期日は10日後くらいだったと思う。ひとつ山側の町に貸家を持っていて、確実に入金があるからとのことだった。ATMカードを取り出してみせていたが、小道具のひとつに過ぎず、ますます胡散臭い印象を抱かせた。
ビジネスの詳細や返済の見込みなど詳しく訊いてもよかったが、どうせ曖昧な答えか、テキトーな嘘しか返ってこないのが今までだったので、それ以上ほじくって訊くのはやめることにした。
私に現在の町を紹介してくれた恩というのも動かすことはできず、まぁ、返せなかったら野菜でも時々貰ってくればいいかと引き受けた。

支払い日に来るのかと訊いたら、取りに来てとのこと。金を得られるのならどこへでも足を延ばすが、一旦手の内に収まれば、そうしたマメさは無くなるようだ。非常にわかりやすい。
私もそれほどヒマでもないので、指定の日に取りに行けるかわからない、Keepだよ、わかる? と念を押して別れた。

以前もこの人物からの回収に苦労し、結局フライパンと釜などを差し押さえて完了とした経緯がある。それまで半業務用の大きなフライパンと釜しかなかったので、自分の家(畑の方)で使うのに丁度よかったし、今も重宝している。

しかし金銭面でルーズということは、計画全般がルーズということである。そんな彼が、個人商店の社長になって うまく店舗運営を続けていくことができるだろうか。

多少気懸かりになっていたものの、開店日を過ぎると、氏のSNSには新鮮な高原野菜や、お祝いに駆けつけた友人らと併設のレストランで食事をする様子がアップされ、まぁ当面は大丈夫のようだった。

 


彼の直近の経歴は、町役場の防災・レスキューの課のチーフ。課員から彼の評を訊いたところ、リーダーシップはあるものの、やや気分屋的なところがあり、時々高圧的に怒られたという。私も、彼が数人の課員を集めて叱責していたのを見たことがある。
2年ほどその職に就いていたと思うが上司が政争に負けたのか(親類や知人のコネクションでの就職はフィリピンあるある)、それとも上司と反りが合わなかったのか辞めてしまったようだった。

氏は少なくとも表面的には人当たりがよくて やたらと顔が広く、そして謎のカリスマ性を備えているように私からは見えた。
町役場をお役御免となってからは、友人所有の空き家となっている家に、傷んだところを修繕するからと言って無料で住まわせてもらったり、浜の近くの土地を一年契約で安く借りて小屋もどきを建てて住んだり(氏は日本では現場仕事をしていた)、おそらく知人の紹介でであろう、リゾート建設の現場監督になって工事完了となるまでそこの部屋に住んだりなどと その他、何人もの友人の世話になって、小学校高学年になる息子とともに居を転々としてきた。
現在の住居は、併設のレストラン(というかメインはそちらで、野菜店の方がオマケなのだが)の調理場の2階であり、野菜店と併せて3500ペソで借りているという。
ひとつ前は、国道沿いにある広めの空手道場 兼 某世界宗教の会館の隅に住まわせてもらっており、彼は若い頃に空手もやっていたそうで、その道場の師範とも交友があるのだろう、食費はわからないが、住居費は無料か格安だのはずだ。時々、若者が何人か来て、彼らにトレーニングの指導をしていたようだ。そして半年ほどの間だが、その会館の国道に面した所で、他2人のビジネスパートナーと野菜店を開いていたらしい。平日は3000ペソ、土日は7000ペソの売上があったという。

 


なかなか訪問する都合がつかず、開店から3ヶ月ほど経ったころ、氏から私の元へメッセージが届いた。

Masa, yasai no gomi ippai」。

あぁ、やっぱりダメだったか…。

翌日、私はジープに乗って15分ほどの、国道沿いにある氏の店を訪れた。
表には新鮮な野菜や果物が並んでいるものの、壁一枚隔てた裏側には、大きな袋2ついっぱいに古くなった人参・じゃが芋・キャベツなどが詰め込まれていた…。

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氏は少し久々となる再会に、レストランのラーメンを一杯奢ってくれ、私が食べている間に細かい仕事を片付けているようだった。
「貸家の入金」の件は一切出てこず、こちらから尋ねてくだらないウソを聞くこともないので放っておいた。


フィリピンの食べ物というのには、私はあまり期待しておらず、今回のラーメンも、お金を払いたいレベルではなかった。砂糖と塩の比率が逆になっているとしか思えない甘い味付け。そこら辺の簡易食堂じゃあるまいし茹で置き麺なのか、それとも茹で足りていないのか、中がふっくらしていないボソボソのもの。牛肉の欠片が入っているくらいしか見るべきところがない。さらには汚れっぱなしのトレイと机。無茶苦茶である。
食べ物を残すのは、私の信条に反するので、胡椒や赤唐辛子をかけてなんとか食べきった。

食べ終わった机をそのまま借りて、氏の話を聞くことに。
もちろん私は経営のプロというわけではなく、ネット上の飲食店開業の際の注意点などを多少読み込んでいる、といった程度に過ぎない。しかしそれでも「日本の義務教育を中程度の成績で修了した」者*1として、氏に助言できることは多いはずだ。というか、「はずだった」。
いかなるビジネスもそのスタートとそのレベルを維持していくことが肝心で、一度離れた顧客を取り戻すのは、かなり難しい。来るのが遅すぎたか、と悔やんだ。

ラーメンがかなり残念な味だったというのを氏に話したあと、机にノートを広げ、さぁ彼の店の何から訊こうか、確かめようか、としたときに、氏は私の右手からペンを取り、ノートも引き寄せて、グラフのようなものを描き出した。
このレストランの話を始めるらしい。

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営業は2021年の1月から。それを半月ごとに区切ったようだ。初めの半月は平均して25000ペソ/日の売上げ。絶好調だ。これならウハウハである。
それが次第に10000ペソ/日、8000ペソ/日。直近では4000ペソ/日にまで落ちてしまったらしい、とのこと。雇用していた人も8人から5人にカットされたという。1人250ペソを支払っているということなので、1250ペソは何もしなくとも一日に出ていく。

ここのレストランのオーナーは、かなりの金持ちで、闘鶏のギャンブルの元締めだという。交友関係も広いらしい。初めのうちの好売上げというのは、そうした関係者によるいわゆるご祝儀相場というやつだろう。近くに住んでいるわけでもない友人が、毎日足を運んでくれるというわけではない。それらの潮が引いてからが本当の売上げである。こんなことは初歩中の初歩だ。

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レストランを営業する上で大事なことはなんだと思うか氏に訊いてみた。写真の、折ったところで隠れてしまっているが、氏はクオリティ・プライス・サービスと書いてくれた。それに私は、一番大事なこととして、ロケーションというのを書き加えた。あとは国道沿いなのでパーキングとタイム。駐車場は問題なく、開店時間の方も夜遅くまで煌々とライトアップされており問題ない。ロケーションも、賑わいのある町と隣の市の中間点で地元の人口は少ないかもしれないが、車で移動している金持ち達の目には留まるわけで問題ないだろう。
というわけで焦点は氏の挙げてくれた3つである。結局、プライスに対して、相応の味とサービスを提供しているか、ということだ。
味については、私はわからない。フィリピン人は甘いものが好きなので、ああした甘い味が好まれるのかもしれない。しかし氏もおいしくない、と言っていた。
価格設定は70〜100ペソで、簡易食堂の倍は取っている。もし味が大したことないというのなら、利用者にとってここは、「値段は少し高いが、国道沿いで駐車場とトイレが有り(簡易食堂にはいずれも無い)、遅い時間まで開店していて大きな机もあるから」ということで入ってきているに過ぎない。トイレは掃除をしないので汚れっぱなし、水も時々流れないのでそれのメリットはだんだん小さくなっていく。プラ机も表面に凹凸のあるデザインで拭きにくく、凹部に汚れが溜まっていく。これを汚いと思った客は去っていくだろう。プラ机とお揃いのプラ椅子も、凝ったデザインが裏目に出て、背もたれが次々に根元から折れているようだ。
後日、レストランの調理場を氏と見る機会があったのだが、朝と昼の営業を辞めたせいか、ご飯やスープなどが、傷んでいたりした。無論、そうしたものを提供するわけはないと思うが、お客の回転が悪くなると、下準備したものを置いておくという時間が長くなり、鮮度の悪いものがお客の口に入らないとも限らない。働いている人は、鮮度のチェックに注力したところで、別に自分の評価や給料が上がるわけでもないので、日本のように士気が高くないのだから、手抜きは往々に発生する。
もちろんそうした、おかしなニオイのするもの(例えば古くなった刻みネギとか)が供されたなら、次回からの利用はしてもらえないだろう。お客の減りのスパイラルである。 


レストランの現状を一通り話してくれた氏は、本題の自身のショップについてもグラフを描いてくれた。

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…やはり同氏の店も、レストランと同じように下降の一途を辿っていた。先にレストランのグラフを描いたのは、私の精神的ショックを少しでも和らげようという意図だったのだろう。
棒グラフのように見えるそれは、初めの1か月は2500ペソ近くの売上げ、次の月は1500ペソちょっと、その次は700ペソくらいが日商の平均だと示している。
私はノートに、新鮮さ、価格、サービス、ロケーションと時間といった、レストランと似たようなことを書き並べた。
なぜ、売上げが落ちてきているのか。上の項目について、氏にどう思うか順に訊いていった。特段の落ち度はなかったものの、後日ショップに通うにつれ、価格が近隣店舗よりやや割高なこと、お釣りが用意できておらず客を長く待たせる場面がしばしばあること(時には後日の渡し(!))、高原野菜はこの店のスペシャリティで人気も高いが 鮮度保持が暑さで難しく廃棄ロスが多発していること、などがわかってきた。
鮮度の件に関しては、氏もこの時点で認識しており、傷みの早い人参や葉物を控えて、長持ちして人気もあるリンゴやミカンの割合を増やしたいとの意向だった。

あまり収穫のないまま、基本的な聞き取りを終え、次に私は説明が必要だなと思っていた損益分岐点について話をすることにした。英語だとBreak-even pointとなるようだ。
グラフを描いて(写真左側)、通常なら店を始めると(品質やサービスが一定以上あれば)みんなが店の前を通るのだから徐々にお客が付き、利益が出るようになる。品質などが悪いとその伸びは鈍い、として上に角度のある直線や、逆に角度のついていない直線を描いた。その後は、近隣の人口は一定なのだから、あるレベルでの保持が続くだろう、水平のラインを引いた。そして固定費、氏の場合は家賃や電気代などだろうか、それがかかってくるので、利益がそれを突破できるか、まさに「Break-even」の説明をできるだけ噛み砕いて話した。

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果たして氏の利益はその分岐点より下なのか上なのか。
下回っているというのなら、至急何らかの対策を打たないと商売が頓挫してしまう。私の貸したお金も焦げ付いてしまうということだ。
台帳はあるものの、日付とお客ごとの売上品目と売上価格だけであり、その日の合算すらされていない。これでは、売上がどのような推移を辿っているかわからないし、利益がどの程度出ているかもわからない。
氏はまたも私からペンを取ると野菜の仕入れ値と売り値を20行近くに渡って列記し始めた。確かに仕入れた分を全て売り切れば、その差額が手に入る。氏はその利益を強調するだけで、その間の仕損分や仕入れにかかる経費(隣りの市までジープで買い付けに行くが帰りはトライセクルであり、かなり高い)などへの言及はない。儲かる側面だけみて、他のコストのことは頭に無いようだった。

私は野菜を1キロ売ったらどれだけの儲けが出るのかを聞きに来たのではないので話を変えようとした。
なぜ、以前の店での売上げに遠く及ばないのか。氏はそれを、以前の場所は、道の向かいに大きなDIY店があり、そこの従業員がたくさん買っていったとのこと。しかし同じ国道沿いでそんなに差があるのだろうかと訊くと、ここは近所の人口が少ないからとの答え。以前の店も周りは田んぼだったはずだが。氏の言い分がどれだけ正しいのかはわからなかった。


損益分岐点を下回っているなら、やり方を変えないと駄目だよ、と私が言うので、氏は最近考えたというシオマイのビジネスを披露してくれた(写真右側)。
3ヶで20ペソで売ることを考えているようだ。仕入れの1パックは50ヶ入だというので、それを3で割れば何セットできるかはすぐにわかると思うのだが、氏のやり方は違った。
3という数字を10ヶ羅列する。氏は何かを確かめ、それに1を足して11個並んだところで11セットできあがる。1セット20ペソなのだから11セットでは220ペソとなり、これは50ヶ入の仕入れ値と一緒なのだという。なので残りのセットを売れば、それがそのまま儲けになるとのことだった。
50割る3は、「16あまり2」なので16セットから氏の言う11セットを引くと5セット。それの売上分100ペソが利益となる。しかし、氏の出した結論はどこで最後の計算を間違えたのか₱140profit/packとなってしまっている…。

写真の左下を見てほしい。見えにくいが、鉛筆で「2」や「5」が6つ並んでいる。これは別の日に、「掛け算のかなり怪しい小学6年生の子」に2個で5ペソのパンを6セット作って今日は売るんだー、と言ったが総売上がいくつになるのと訊かれたので書いたものだ。意図したわけではないが、氏とのやりとりと同じページに書かれている。その子への説明の中にやはり氏が記したと同じような「同一の数字の羅列」というのが出てきている。私が何を言いたいかわかるだろうか。私が子供に平易にわかるように書いてあげたのと同じようなレベルに、氏が立っているということなのである。

掛け算・割り算を使えない小学生が、何かのビジネスを運営していくことができるだろうか。――答えは明白だった。

 

シオマイを3ヶ20ペソで売るというのは、どこにでもよくある価格設定である。氏にその点を指摘し、あなたがシオマイのビジネスをやる強み、スペシャリティを問うた。
なんでも、隣りの市で普通よりちょっと大きなシオマイが売られているのを見かけたのだという。それだけか…、と脱力。もちろん普通の冷凍食品である。
私は氏に、電気式のスチーマーを初期投資として買い、醤油やラー油、さらにはカラマンシーや紙皿といったものも揃えないといけない、いったい何ヶ月でペイさせるつもりなのか、と畳み掛けた。ここでも氏は、上辺の利益のことだけしか考えていなかったのだ。
 
私たちは、シオマイ・ビジネスの夢が萎んだところで再び、併設のレストランの話などをしていた。私がその難点を挙げ続けていたのだろうか、氏は私を手で遮ると、一呼吸おいて、既に様々な数値やキーワードが書かれたノートを力強く指し、こう言った。


「フィリピンビジネスだよ!」


開き直りとも取られかねないその発言は、私にこの話を続ける意欲を挫かせるには充分の打開力を有したものだった。
ただ単に勢いが勝(まさ)ったのかもしれないが、文頭の「これが」を省くことで、自分の状況だけに限定せず、ここはフィリピンだ、これが俺達のどうしようもないやり方なんだ、との宣誓の気質さえ帯びてきている。

今年聞いた言葉で一番重いものになるのは間違いない。


 

今はお金が少なく、台に並んでいるリンゴが全部売れたら返すと言われ、返済に関しての展望は開けなかった。

私は氏の住居部に一泊して、その翌朝、カレーを作るには充分すぎる量の萎びた野菜を回収して帰路に就いた。
氏の「フィリピンビジネス」を当分の間 サポートしなければならないのか、という思いとともに。 

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*1:フィリピンでは特に数学は、中学校を卒業しても日本でいう小学校の低学年〜中学年程度、高校を卒業しても中学校程度か多くはそれ未満

VS.チャイナ資本

今週のお題「好きなアイス」

 

 

所持金残り:2516ペソ と4万円
(帰国旅費・ビザ更新料の取り置き16万円を除く)
予想滞在期限:2022年6月頃



Aice というアイスのメーカー をご存知だろうか。自社専用のチェストフリーザーをあちこちのサリサリに配し、ここ2年ほどで目覚ましい躍進を続けているメーカーである。100メートルと間を置かず売られているエリアすらある。私の地方だけ、ということはないだろうからフィリピン全土に遍く進出しているのだろう。
単一メーカーながら多くの種類を有し、フリーザーの近くには必ずその一覧のフラッグが掲げられている。価格もそれに明示されており、もちろんどこで買っても味は均一なので安心して買うことができる。
私も何種類か買ってみたが、10ペソのチョコ味のが糖分が多いのか口溶けが悪く口内がベトつく、といった他は、日本なんかで売られているものとほとんど遜色ないように感じられた。特に15〜25ペソの価格帯のものはかなり完成度が高く、リピートしたくなる出来である。値段自体も、既存のメーカーの同等品の2割は安く、庶民にアイスがぐっと近くなった、といってもいいだろう。

さてこのメーカー、包装を見るとMade in China とある。経済発展の伸びしろのあるフィリピンに向けて、市場を開発してそれを膨らませ続ける、といったところだろうか。
このビジネスモデルの特徴は、フリーザーと看板一式をメーカーの負担としている点である。つまりサリサリストアが負うのはフリーザーの電気代だけということになる。私は友人の野菜店にこのフリーザーの導入のチラシが入っていたのを目にし、この仕組みを知った。オーナーになれば、売れそうな種類、売りやすそうな価格帯のものを発注し、売れればその2割くらいが利益として得られるというわけだ。

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自社専用のラッピングフリーザー。公式fbより画像を引用

メーカーとしては小売の箇所が増えれば増えるほど販売機会が増えるので、日本でいうところの、コンビニの隣りにコンビニが、なんていうのも厭わず”フリーザーのセールス”にいちばん力を注いでいるだろう。しかしこのビジネスモデルで”イケる”と踏んだメーカーの営業部はスゲェなと思う。一歩間違えれば爆死である。

サリサリストアの中には、フリーザーがタダで自分のものになったというのをいいことに、ソーセージやフィッシュボールなど他の関係ない冷凍食品を入れている店もある。専用のトラックで納品に来るドライバーは一社員に過ぎないので、そんなことを咎めても自分の仕事が増えるだけなのであって、見て見ぬふりか。

売価の方も今年に入って変化が見られた。10ペソだったものがどこへ行っても12ペソだと言われるのだ。他の価格のものも2〜4ペソ上げとなっているようだ。
一店だけ値上げすると、客が他所に流れる可能性があるので、一店だけで値上げするとは考えにくい。原料費かメーカーの取り分なんかが上がって、納品のトラックドライバー伝てに、サーセン、今度から2ペソ上げで おなしゃーす、なーんてなっているのかもしれない。他は単純に電気代の値上げがあったとか。
ちなみに 海浜のリゾート近くのサリはそんなことのある前から、金持ちの利用者が多いと見たのか10ペソのものを14ペソで売っていた。商魂逞しいというべきか。

商品一覧のフラッグにはそうした価格の訂正なんて入っていない(我が道を行くフィリピン・クオリティ)ので、お店の人に訊いてみないと値段はわからない。商品もその全ての種類が置いてあるわけではないが、どこのサリでも周辺にアイスの袋が散らばっている(安定のフィリピン・カルチャー)ので、フリーザーを覗き込まなくとも どの種類が売っているのかだいたい見当がつく*1

 

私の海の村にも、その入り口(北側)のサリに去年からこのメーカーのフリーザーが置かれるようになった。
年末は子供もお金をかなりのお金を持って遊び歩くので、それを当て込んで露店を出したというのは以前書いたとおりだが( 年末商戦1日目:ドライカレー/2日目:チャーハン/3日目:ケチャップライスなど計6日分)、実はその時の最大のライバルというのがこのAiceなのである。味も良く、値段も手頃というのだから売れないわけがない。昼間にアイスを買うので、私が店を出す夕方までにお小遣いは減っていってしまう。設置してあるサリサリから村の中央へ向かう道には、点々とアイスの袋が落ちていて、勝手に「アイス街道」と名付けたそれを、苦々しく見つめたものである。

もちろん私もこうした状況に手を拱いていたわけではない。年末商戦5日目に「冷たい」食べ物、冷やし中華を投入したのはアイスに対抗しようという目論見も含まれていたのだ。しかし結果は、赤字を出さないのがやっとの大コケ。
やはり「冷たくて甘い」ものじゃないとだめかと、そこそこ利幅があって人気もあるチョコバナナパンを、「冷たい」方向に寄せていくことを考えた。
そうして、私のアタマの引き出しにあった、フィリピンの「生温かいスイーツ」に思い当たった。
え?「生温かい」、「スイーツ」? そんなの、おいしいの?
そう、不味いのだこれが。徹底的に。

以前、オーナー一家の敷地内に住んでいた頃に、誕生日のご馳走のお裾分けとしてもらったことがあった。生温かい小鉢を渡され、デザートだという。でろっとした見た目である。見た目がおいしくなさそうな料理が、おいしかったという経験が みなさんはどれほど お有りだろうか参考画像:調べたところ「ビロビロ」というらしい、名前もあまり気持ちのいいものではないな…)。サツマイモ、フルーツの缶詰、コンデンスミルク、と単体ではおいしいはずのそれらを、どうして温めてトロミまで付けようと思ったのだろう。

私はフィリピンに来て5年になるので、既にこうした料理が供された場合の対処を身につけている。水で料理を洗い、味付けをし直すのだ。誕生日によく出るフィリピンの激甘スパゲティはこれでクリアできる。
そのときは洗ったあと、手元にあったミロとチョコソースでアレンジしておいしく頂いた。そのデザートにメインっぽく入っていたのが白玉団子。市場に行って値段と量を確認して、ネットで白玉粉の扱い方をざっくり調べた。こうしてまたひとつ新メニューが生まれたのだ。

100mlくらいのカップで8ペソ。少なめの盛りで5ペソも可能だ。タホに混ざってるタピオカの小さいのも一緒に茹でて、白玉と氷水に入れておく。バナナやチョコクリームとの相性もいい。白玉粉を捏ねてちぎるのが手間だが、近所の子は私が作っているのを見ればみんな一杯買ってくれ、おかわりの子もいる。欲を言えばもう少し利益があってもいいかな…。

f:id:taippii:20210507164422j:plain写真は友人宅で作ったLsizeバージョン

 

 

半年近く前になるだろうか、村への道沿いにある民家で、相次いで「ミルクティ」の店ができた。いわゆるタピっちゃうお店である。フィリピンでは、日本より中国や韓国が身近で人気があり、看板には漢字が添えられていたりする。
隣の中核市や国道沿いなんかに出店しているのは知っているが、こんな鄙びた所に店を開いて大丈夫なのだろうかと思っていた。値段はお高いままで、カップもそこら辺で売られているものでなく専用のものを使っている。案の定、ほどなくしてダウンサイズと値下げをして、少しは買いやすくしたようだった。
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最近、村からの帰りに、貧しいながら なんでもよく買ってくれている子が父親とモーターバイクでミルクティを買いに来ているのを見てしまった。私が5ペソなんかで売っているところに、小さめのサイズでも30〜40ペソする店である。ぐぬぬ、なのである。

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子供たちはよく私の料理を買ってくれても 、その親達は親日派ではないというケースは往々に存在する。特に年端のいかないうちはお小遣いを持たせず、ねだられた時にだけ少額を渡すというやり方を取っているようだ。そうすれば、日本人の売っているものを買いたい、と言われたときに「今はお金ありません!」と断ることができる。
しかしこうした親たちも露骨な反日派、というわけではなく、他のご近所さんに日本人に肩入れしているな、と思われたくない、といった程度とも私は思っている。このあたりはムズカシイ*2
今回も、豊漁があって、子供にねだられて、まぁ「色のついていない」タピオカミルクティなら たまにはいいかと買いに行ったということではないか、と勝手に想像している。


しかし私にタピオカミルクティ如きが作れないと1㍉でも思われるのは癪である。市場へ行き、大玉の方のタピオカを仕入れた。それをメインにして冷たいチョコバナナスイーツを作ってみるつもりだ。白玉粉を捏ねなくていい分、こちらの方が楽なはずである。

少しイジワルをして、5ペソを廃し「20ペソのカップしかありません」とやってみようかと思っている。大人気(おとなげ)なー。



*1:お題の「好きなアイス」に正面から答えておくと、オススメは定価19ペソのMilk&Egg。安い価格帯のものよりミルク感が強くおいしい。包装のイメージには一切出ていないイチゴジャムが入っていて度肝を抜かれた。次点で、4層になっていることがウリのChocolate Crispy。ナッツもまぶしてあり食べごたえがある。第三位は12ペソのメロン味。結構クリーミー。子供の頃に食べたオバキッドのアイスを思い出しホロリとしてしまった。番外で、いちばん最近に出たあずきモナカ。隣の市で見て、新商品だ!と 飛びついて買って食べたのが、私の前歯をへし折っていった…。モナカ1ヶ800ペソ也。トホホ。

*2:割合として一番多いのは「表面的親日派」。いつもはフレンドリーに「ハロー、My friend!」とか言っているくせに、小さな頼みごとでも急に余所余所しくなって尻込みしたりする。お前もか、と少しイラッときてしまう。
次に多いのが「表面的反日派」。いつもは目も合わせてくれないのに酒が入ると、「Come! One Shot!(一杯飲んでけ!) 」とか言って話の輪に少しだけど加わらせてくれる。男性はこのタイプが多い。あぁ、本当は仲良くなりたかったのか、と少しほっこりする。しかし翌日 酒が抜けるとやはり挨拶もしてくれない(泣)。酒の肴になっているだけなのかもしれないが、まぁそうでもいい。
割合で言うと5・3・1・1。後ろの「1・1」はそれぞれ「親日派」「反日派」ということである。反日派といっても石を投げられるわけじゃないけどね。「非日派」くらいか?

ここが私の住みたい所

今週のお題「住みたい場所」

 

所持金残り:3616ペソ と5万円
(帰国旅費・ビザ更新料の取り置き16万円を除く)
予想滞在期限:2022年6月頃



私は今の生活に大変満足していて、住みたい所というのは、そのまま今の生活圏になるので、以前もいろいろなお題に絡めて投稿していますが、今回も結局のところフィリピン・ローカル生活の紹介ポストです。よろしければ過去のものもご覧になって見比べてみてください。

現在の「寝られる場所」というのは4つ。
メインとしているのは、畑と一体となった自作の小屋もどきで、ビニールシートにバナナの葉を被せて紫外線から守り、同時に暑さもかなり軽減しています。板を打ち付けたような いわゆる壁のようなものはなく、竹で編んだ「壁材」で南を囲い、東は竹の柵と目隠しのカーテンでできています。北と西は開放で、畑の野菜が時々盗まれるようなので高い柵を作り、そこに扉をつけて施錠しています。それからは一度も盗難が起きていません。

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6月から雨季に入り、毎日畑に水を撒く必要がなくなったので生活の比重を少し海の村の方へ移しています。
今回(7/6〜7/9)は、久々の新メニュー、私の畑でたくさん採れるようになった桑の実を使ったジャムパンです。 木は勢いよく茂り、隣の教会の屋根くらいになっています。

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準備を整えて村へ向かおうとする頃に夕立が始まり、傘代わりにビニル袋を被って畑を出ました。村に入ると土砂降りになり、民家の軒先で雨宿り。台風を除けば、雨は強ければ強いほど早く止むということをもう知っているので10分ほど待ち、弱まったところで第二の拠点として使っている民家の2階&ロフトへ移動。
こちらの物件は所有の一族のご厚意で、無料で借りています。なので、中華ちまきを作ったときは何個か差し上げでおります。隣の市やバギオに行ったりしたときにはお土産を、と考えているのですが、緩まったとはいえロックダウンは続いていて行動制限がかかったままなので、なかなかそうはなりません。
この日は弱い雨が続いたまま日暮れとなり、村内を行商に回るわけにも行かなくなって、2F部で足止め。それでも青年一人と少女一人が通りかかり、ジャムパンを買ってくれることになりました。1スライスは5ペソ。建築現場の仕事は400ペソ程度なのでその80分の1、つまり日本の感覚で言うと100円強で売り買いしている感じです。ハンバーガーバンズを4つにスライスしてジャムを塗ったものに100円強ということで、若干割高な気もしますが、そもそもフィリピンではエンゲル係数というのでしょうか、日給に対し(特段贅沢な食事をしなくても)結構な割合で食費がかかっているので、これも妥当な値段のようです。味は確かなようで、青年はおかわり、少女の方はおかわりをウータン(借金)でとのことでしたがご返済の方が滞りがちなので残念お断りとなりました。

1階の方は500ペソにて4人家族が3ヶ月ほど住んでいましたが転出のよう、今日から元のとおり一族の青年らの溜まり場となったようです。夜遅くまでスマホをして、それはいいのですが、入り口付近で小用を足すので、臭気がこもって たまったものではありません。せめて雨で流れる所でしないものか、とも思うのですが、そこはフィリピンクオリティ。言ってどうにかなるものでもないので、こちらがあちらに合わせるしかありません。
今までも、ここで寝ることは基本的にしていませんでした。村内のあちこちでゴミの野焼きをするので、どんなものが舞っているのかわかりません。暗闇の宙をライトで照らすと無数の塵。ローカルだから空気がきれいとは限らないわけです。実際、村内の砂地に水をかけると、砂に何か不純物が混じっているのか始めは撥水します。浜辺の砂はそんな事はありません。私の体は唯一肺が頑丈でないので、大事を取って少なくとも夜の間は浜で寝るのです。
今回は雨のため、浜小屋(カラパウ)で寝ることはできずに、2階にて就寝。雨で塵が舞うことはないので、オシッコのニオイさえ我慢すればヨシというわけです。あとは蚊がいますが今回は気になるほどではありませんでした。

 


 

翌朝から本格的に販売。あまり売り込まなくても、私の居る2階部分に買いに来てくれます。ウータンを少額ながら自発的に返しに来てくれる子も出てきて、何か金回りの良くなることが漁村の中で起きているのかな、なんて勘ぐってしまいました。
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ミルクパウダーを振って、ちょっぴりリッチな見た目に。安価な牛乳のないフィリピンでは粉ミルクを水に溶いて飲むのがスタンダード。でもミロも含めて粉のまま食べている子がほとんど。私もミロを粉のまま舐める、という子供の頃の夢を叶えたい放題です。

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夕方前には 桑の実ジャムは売り切れて、普段から時々作っているチョコバナナパンに切り替え。

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最近、村への途中にパンの小売店ができて、ハンバーガーバンズはそこでも入手できるよう。ジャムの瓶を1本しか持ってきておらず、失敗。

 


 

 

浜小屋にて起床。

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いたずらっ子に少しずつ壊された調理用台車の天板などを直すため、川上から漂着する竹を拾いに河口部へと向かいます。写真ではきちんと撮れていませんが、きれいなピンク色やオレンジ色の朝焼けが毎日拝めます。

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無事に予定の数量を調達。

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浜小屋の方へ戻ります。ボートに積まれているのはカニ漁の仕掛け。魚の切れ端を入れておいて、籠内に入ったら出にくようになっています。

 

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右側がお世話になっている浜小屋。左の木の下に竹で作った机 兼 寝台があり、そこで寝させてもらっています。浜小屋の主は四六時中飲んでいる有名な呑兵衛ですが、とてもフレンドリーで、朝に一緒になると いつも薪で湯を沸かしてコーヒーを振る舞ってくれます。水は近くの井戸からで、明らかに色がついていて、初心者にはレベルが高いかもしれません。

 

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帰漁のボートの影が見えたので浜へと駆け寄り、ボートの陸揚げの手伝いをします。小さなカニを手伝った人の数で等分します。この日はなぜか多めに一人当たり8匹くれました。朝食には十分の量です。

 

 

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村へ戻り、近くのポンプ付き井戸にて釜やカニを洗います。開放型の井戸の水より幾分きれいなはずです。フィリピンでは地下水汚染の問題は存在せず、山側に汚染源があったとしても、コーヒーを啜ってあとは祈るだけ。

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カニと畑で取れたナスをご飯と一緒に炊きました。

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調理準備室、通称『2F』の全景。ここ一週間で、柱の沈み込みを直して、ハシゴも釘を打ち直したりしました。子どもたちに大貧民を教えたところ好評で、滞在の快適性を高めるために屋根にバナナ葉を配しました。屋根の波板は、触れないくらい熱かったものが触れるくらいの温度に。日中に物の出し入れを数分するだけで汗だくになっていたのが、完全に改善となりました。
座っているのは1階に出入りの青年。スマホは1万ペソとのこと。現場工事の仕事をして買ったそうです。日給は400ペソだということなので25日分ということになります。私の記憶が正しければ中学3年生くらいになるはずですが、バイクも乗って、タバコも吸って、仕事もして、ということなので、少年ではなくもう青年の括りです。

 

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川漁へと向かう最寄りのサリサリのお父さん。歩く先に見えるのが開放型の井戸。

 

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ご覧の通り、子供が多いです。

 

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朝は特に売らずに2Fの修繕を進めようと思っていましたが、5ペソ分買いたいという子がいたのでご飯とカニをサーブ。それだけではあまりに芸がないのでカレーパウダーを一振りしました。

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左の台車用に竹をカット。

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暑くなってきたので、村の東の方の木陰ポイントへ行き、ダンボールを敷いてお昼寝。左上が朝の河口部です。
フィリピンでは日が長くなる季節は、陽は北から差します。
起きなければならない用事があるときは木陰のフチに横になれば、じきに陽が差して暑くなり起きる、という寸法です。

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昼にはやや遅れましたが、チャーハンを調理。2Fの西側の宅の前で火を起こしました。乾季は砂埃が舞うので、辺りに水を撒いてからの調理になります。雨季も子供が傍を走るだけで砂を跳ね上げることがあるので、基本的には蓋をして料理します。

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緑色のは野菜がないときに彩りとしても助かっているマロンガイ。村の内外に植えられています。

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今回はフルメンバーから、卵・玉ねぎ・長ねぎ・ゴマ油が欠品で、満足できる味というほどでもなかったのですが、それでも3人の子がおかわりをしてくれ、ほどなくフライパンはすっからかんになりました。

 

 


4つ目の寝床は友人の野菜店の住居部なのですが、それはまた稿を改めて。

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大晦日のドライカレー販売

今週のお題は「下書き供養」ということで、随分昔になってしまったが
尻切れトンボになっている昨年末の特別セール最終日、つまり大晦日の様子をお伝えしたい。

 

最終日は、一番人気のあるドライカレーを再び作って売り歩くことに。
前年の仕事用ノートを見たところ、1kgの米で作ったドライカレーが、深夜までよく売れて300ペソを超える現金を手にしたようで、今年は強気に1.25kgを炊くことにした。
私のドライカレーの現行のレシピでは、市販のカレーパウダー(300ペソ/kgで購入)にMDH社のPAV BHAJI MASALAを3:1くらいで使っている。後者の方は青マンゴーパウダーが結構な割合で含まれているようで、甘酸っぱいフルーティな香りを纏って仕上がる。さらに日本でもよく添えられているようなフルーツも入れ、フィリピンでは決して見ることのない「ドライカレー」というものができあがる(ビリヤニというのなら行く所に行けばあるが それともちょっと違う)。

村への入りは、今日は深夜まで営業することもあって、やや遅め。
調理中、「フシッ」とフィリピンの人がよくやる人を呼ぶときの声。見遣ると よく買ってくれている女の子の家の方からだ。今日まだ顔を見ていないはずだが、カレーの匂いでも嗅ぎつけたか。続けて「ビリアコ〜(私、買います)」と、か細い声が聞こえる。
調理の合間にそちらに行って、竹張りの柵の隙間から覗くと、玄関というか土間のスベースでハンモックに揺られている母親氏と目が合う。昨年の大晦日か、はたまた最近か門限を守らないことがあったのだろう、本日は外出禁止というわけのようだ。

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さて、調理が終わり、件の女の子から注文を頂いているわけで、また、大晦日に自宅軟禁というのも、不憫な話である。はて どうしたものかなと思っていると、当人は家の中に居て、その家のコンクリ壁と屋根の間には、度の家にもあるように10センチほどの隙間がある。そこにドライカレーを投げ入れると、さぁ どうなるか。
(写真は後日撮影したもの。見えにくいがブロックと屋根の波板の間に隙間があ。右奥が「竹張りの柵」)

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少し多めにサービスをして袋に詰め、口をしっかりと結び、狙いを定めて放り投げると、一発でその隙間をうまくすり抜け、室内に落下したようだった。
調理した台の上を片付けて、行こうとした頃に 女の子の家の方から母親らの声が。
なんでドライカレーを食べているのだ、と問い詰められているか、女の子はしどろもどろ、半ベソになって受け答えをしている。プププ、私はこのテのいたずらが大好きなのだ。この女の子には日頃からいいほどロコロコ(悪さ・いたずら)されているので、このくらいはどうってことない。
今年最後の善行(悪行?)を終え、東の原っぱへ向かう。

昨年は村の主催かどうか、ディスコが催され、子どもたちや若い男女がワイワイ騒いで踊っていたが、今年は無く、それでも村の所々に大きなスピーカーを保有している宅があるらしく、その前で散発的ながら大音量でのディスコが開かれている。
酒の入ったおばさんも踊ったりしていた。
(下の写真はいずれも昨年末のもの. 今年はこのような照明は無い)

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今年はコロナの影響ということか、大きな音のするラッパの販売が禁止されたようで、年の変わる時間になっても、その音は聞かれない。2、3人の主婦が金盥を銅鑼代わりに打ち鳴らして歩いたり、青年がバイクのエンジンを空ぶかししたりするくらいだ。それでも子どもたちはそうした時間まで起きていてロケット花火をしたりして遊んでいた。
私の方はというと、それほど若い年でもないので12時半くらいに閉店、ドライカレーは多少余ってしまったが、明朝もよく売れるはずで、さほど心配せずに浜の方に寝に行くことに。


元日も休まず営業! ということで朝から残っている分を売り歩く。子どもたちはまだ本日の分のお小遣いを貰っているか、なかなかの売れ行きである。持ち合わせのない子にも、New Year のサービスとしてウータンを許可していく。9時過ぎには完売。

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かくして年末特別セールは幕を閉じた。

連日の売上をみていくと…昔はHTMLでTable(表)なんかを作ったものだが、今回は省略。現金と売掛を足したものからコスト・自家消費分・Free分を差し引いたものを利益とすれば、冷やし中華の(たった)14ペソというのを除いて概ね150〜250ペソといったあたりとなった。

正月気分が抜けることには、子どもたちのお小遣いも元通りとなり、つまり作っても売れ行きが悪くなるため、小学校での昼休みの時間をメインとした態勢にシフトしていったことが昨年のノートからは窺える。しかし今年はコロナ禍で小学校そのものが閉鎖となっているために、そうした手段は取れない。細々とでも村に通って販売を続けるしかないようだ。

ちなみに、前出の女の子にはきっちりとウータン(借金)プラス10ペソとさせて頂いている。