ついに日本帰国が目前に

今週のお題「パイナップル」

 

少し昔になるが、デルモンテからだったか、トマトジュースにパイナップルを混ぜた飲料が出てたことがあった。今は無くなってしまったが なかなか爽快な味で、よく買っていたのを覚えている。
フィリピンは常夏の国なので、街角の至る所で大きな氷を浮かべたジューススタンドが見られる。ココナッツ、メロン、チョコレートなど色々な味があるがパイナップル味もある。そこに細かく切ったトマトを入れると…、トマトの食感も合わさり、すごくおいしいのである。
私がやり始めても、またあの頭のおかしな東洋人が変わったことをし始めたぞ、となるので、間にフィリピン人をかます必要があるが…。
さてお題をサクッと消化したところで本題に入っていこう(いつからこのスタイルになったのだろう…)。

 

 


 


2022年6月から公設市場のナイトマーケットに場所を移して続けていた私の露店だが、2023年6月22日を最後に休業となり、現在も営業再開の目処は立っていない。休業に至った理由は単純明快で、取得が求められている役場の営業許可証を取ることができないでいるためだ。私が外国籍者であるため、まず申請そのものが認められていない。これは代理人というか、代わりのBOSSを立てればクリアできることではあるので、借金漬けにした件のピーナ氏に、「営業が差し止められた。収入が途絶えてしまうので代わりに営業許可を取ってくるか、帰国への不足分10000ペソをボンバイ(インド人の金貸し)から借りてでも一括で払うか、選んでくれないか」と迫った。初めは営業許可を取るようなことを言っていたが、2017年のときと同様に、自身が忙しいからとか、職員である知人を通して頼んでいるから、とか言って遅々として進まず、そのうち何か致命的にネックな点でも見つかったのか(仮に逮捕歴があっても関係ないはずで、私には見当もつかない)、「取得するのにたくさんお金がかかる」、という、私が全部出す、と言っているにも拘らず、全く意味の分からない理由で、10000ペソを支払う方向に舵を変えた。ボンバイに借りればすぐに済むはずが、それを指摘しても、支払いを一ヶ月先に指定してきた。その間に隣の市に居るというボーイフレンドの所に逃げるか、何かまた別の理由でも捻り出して先延ばしする算段でも立てているのだろう。
ナイトマーケットの営業を、帰国費用の捻出のため、と役場職員の警告を無視して強行することもできたのだろうが、警告を出してきたその役場の上級職員というのが、コロナ以前も含め、2度に渡って私に500ペソ札*1を手渡してくれ(1回目は、私は貧乏じゃないと断りを入れたが結局くれた。2回目は帰国のための一切の費用を除くと、虫歯の治療費が発生したこともあって、銀行預金も底をつくくらいだったので大変助かった)、さらにプラザ(大教会前の広場)での開業当初には、27センチの大判お好み焼きを一枚全部買い上げて、立ち見の子どもたちに振る舞ったりしてくれた、いわば恩人に当たる人であり、ナイトマーケットの営業にあたっても、私の事情を誰かから聞いて知っていたのだろう、これまで営業許可が無いのを、目を瞑ってくれていたのである。そうした許可をくれている人がダメだと言っているのであり、上からの指令があったのか、この人が音頭を取って発令したのかはわからないが、ナイトマーケットの他の店全てが許可を取得しているのに、外国人の私だけがなぜ見逃してもらっているのだ、となるはずで、”恩人”の顔を潰さないために出店は自粛したのである。

さて、以上のように収入の途が絶たれてしまったのだが、ナイトマーケットの以前は、自宅で夕方に料理を作って売っていたので、それに戻るだけで収入がゼロになるわけではない。

スクウォッターエリア感のよく出てる自宅周辺。
映っているのは日本昔話の自在鉤をヒントにした(?)吊り炉。
燃焼に必要な空気が障害なく取り込めるので、通常使われる七輪式より優れている。



そして、本当に金がないならば、コロナ中であっても手を尽くして帰国すればよかったのであって、そうでないということはプラザやナイトマーケットでの営業そのものが、この機に帰国費用を稼ぐという名目で、フィリピンの飲食業界に食い込もう、というオプショナルなものだったのである。真の目的は、業界に参入することによって、日本人である私の料理が、どう受け入れられる(または受け入れられない)か見ることであったり、ナイトマーケットの各店の参入や撤退の変遷を定点観測することであったり、フィリピン人の衛生観念を見ることであったり、さらには、親日層や富裕層と知り合うことだったのである。
なーんて威勢のいいことを言っているが、一度は余剰金が尽きかけたことがある以上、この論法は後づけ、ということになる。それとも雨季などで不振に陥っても長期的に見れば十分な収益をあげられる見通しを持って開業したのだったろうか? まぁ時々でも2枚売れれば、貯金は増えていく計算だったような気がするが。

ともあれ、”元の”村の自宅での営業となった。初めの方は ナイトマーケットで腕を磨いての凱旋だったわけで、お好み焼きの方はキャベツの高騰により作れなかったが、しばしば二番手メニューとして出していた つけ麺をはじめ、ドライカレーやチャーハンなど、日替わりメニューで人気を博した。しかし一週間以上続く大型台風の影響、ウータン支払いやマナーの悪い子の有期出入り禁止、女の子の離反(他の子と仲良くすると嫉妬して数日来てくれない)などで、最近は売上が停滞気味である。

一方、2022年11月の現金・スマホ・他一式の盗難に際して訪れた裁判所から始まる借金取り立ての方は返済ペースに波はあるものの、ここまではまずまず順調に進んでいた。しかし、ナイトマーケットの閉業に伴っての10000ペソ一括で寄越せ、としたのが良くなかったらしく、月々の1000ペソも払ってくれなくなってしまい、そうなってから2ヶ月になる。裁判所へ再び行って拘置所送りにするという手段も残っているがそれで私にお金が入るわけではない。
改めて計算してみると、現状の為替レートが大きく崩れない限りは、パスポートの再取得、IDの更新料3年分、格安航空会社のチケット代などは、現在の手持ち資金で全て支払える具合であった。

しかし、つい最近になって重大な見落としがあるのに気がついた。更新遅延分の罰則金の存在である。イミグレーション(移民局)発行の観光ビザの場合は一月遅れるごとに500ペソが課される。我がPRA(フィリピン退職者庁)は観光省の傘下であるがイミグレに準じた罰金が課されるであろう。私がSRRV(特別退職者居住ビザ)を申請した際も、更新が遅れたらペナルティはありますか? との問いに、Yesとの返答を頂いた覚えがある。一月500ペソなら、一年で6000ペソ、三年では18000ペソにもなる…。
計算をして、手元に残っているお金は10000ペソ。このまま行けば8000ペソの不足である。件のピーナ氏を突っついても、遠い先の日付を言われるだけで、それも本当に支払ってくれるかはかなり疑わしい。私は以前、2000ペソを何度か貸したことのある別の知人ピーナ氏(こちらも日本語がまぁまぁ話せる)に話を持ち込み、大きな負担にならないであろう、3000ペソを打診してみた。表情はさほど曇ることなく、その翌々日にその金額を借りることができた。これで残るは5000ペソ。
その数日後、ナイトマーケットの屋台台車を収めている市場すぐ近くの元野菜店の敷地内で、昼食を煮炊きしていたところ、その前を通った女性から声が掛かった。プラザ時代から よく私のお好み焼きを買ってくれている 一番のお得意さんで、日本語を勉強して、簡単な単語を言える親日派でもある。私の休業は知っているようで、なぜなのかを訊かれ、ありのままに営業許可の取得を知人に頼んでいるが、かなり難しそうだ、と答えた。最近は自宅で料理をして、近所の多くの子がお客さんだよ、と説明すると、売上げの方は、と問われ、常連さんに心配をかけるのもなんなので、70%くらい、と こちらの方は少し水増しをして答えた。以前のナイトマーケットでは、1枚焼くのか2枚焼くのか、との問いに1枚だけです、と返答しており、その時点でフィリピン人男性の平均的な日給に届いていないことは、ちょっと計算すればわかることであって、自宅の営業ではそれをさらに下回る、ということになる。
日本人の窮状を察したということか、自分のおやつの分であろう焼売をくれた彼女は、私の話を聞きながらバッグや財布から50ペソ札、100ペソ札、500ペソ札、ありったけの紙幣を次々に取り出して私の手に握らせてくれた。

これまでなら、私はカワワ(貧乏)ではないので、と断っているところ、状況が状況なだけに、丁重に礼を言い、受け取ることにした。あとで数えると、丁度2000ペソもの金額が、彼女の言葉を借りると”神の祝福”として私のものになっていた。(一応念のために記しておくと、日本から戻った際は、全額をお土産付きで返すつもりでいる。)
彼女の素性をもう少し書いておくと、以前聞いたところでは、お仕事は「ファイナンシャル・アナリスト」とのこと*2。私は、彼女がフィリピン人であるということとファイナンシャル・アナリストという耳慣れない職業が頭の中で全く結びつかず、目を丸くしてしまった。町に2、30人ほどしかいない銀行員より更にレアな職業のはずで、収入も金貸しや土地持ちを除けばトップクラスのはずだ。
彼女は昨年、マニラの方へ遊びに行っていたとのことで、日本レストランにもおそらく立ち寄っただろう。そこは、駐在の日本人に向けた価格設定をしているわけで、私が作る”Japanese-Pizza”が本来は一切れ40ペソなどではないということは、すぐにでも気付いたはずだ。そうでなくとも、知識層なのだから、フィリピンと日本との収入の差などももちろん知っているだろう。そして私が受け取るべき本来の日収も。今回の件はこれまでの分のその「差額」をお支払い頂いた、とみることもできるわけだ。
これが私の目論見の、「親日派や富裕層と知り合いになる」ということの具現した姿なのである。(コーミョーすぎて本人も気付かない。)
こうして、不足分は3000ペソを残すのみとなった。その間、数千ペソを貸している2つの家族に 少しでもいいので、とお伺いを立てたが、無いものは無いのであり、アテにはしていなかったがやはりムリであった。

さて次に白羽の矢を立てるのは、と思案していたところ、最近も、日本に家族旅行に行っている写真をSNSにアップしている人物を思い出した。私の自宅に日本円が4000円ほどあり、これを今必要となっているペソに 相手側有利なレートで交換を提案しに行こうというわけだ。

この人物は、町の防災課のチーフ、以前に紹介した「氏」の後任としてそのポジションに就いている。
何ヶ月か前、仕事を終えた帰りに、防災庁舎の向かいに材木が積まれていたのを、丁度よい場所に座れる所ができた、と自転車を停めて営業日誌を数夜続けてつけていたところ、声を掛けられた。私の方は全く覚えていないが、2016年か2017年に、「氏」の腰巾着のようにして、庁舎に出入りしていた時に私のことを軽く紹介されたのだろうか、あちらの方は私の顔を知っているようだった。近況を訊かれ、帰国費用を工面するために毎晩JpPzを作って売っていること、そして巨額のウータンの取り立ても並行して行っているということを話した。すると、今度 日本に視察旅行に行く予定があるので、それに同行してはどうか、という話を頂いた。当時は、ナイトマーケットの営業とウータンの取り立てが順調に進めば資金繰りは問題ない調子だったので、その申し出を もし何か問題があったらまた頼みに来ます、として断った。
「氏」の解任のことを訊くと、やはり「ロコロコ(悪さ・いたずら)」があったとのこと。子供の「ロコロコ」は「いたずら」の意味だが大人の ということになると業務上の金銭や物品を私的に流用した、といったところだろう。町長の耳に入って公職を追われたようだ。全く本当にどうしようもない人間だ。
あとでSNSを見るとこの新チーフ氏は何度も日本に家族旅行に行っているようだった。公務員の給与がそこまで高いとは思えないので不動産でも持っているのだろう。

さぁ この人物に、日本円を握って訪ねに行くとどうなるか。
両替に快く応じてくれるだけでなく、私のショゲた顔を見て、それこそ「私の言い値」でペソを貸してくれるのではないだろうか。これが通れば帰国費用の件は解決である。
しかし、よく考えてみるとペナルティが18000ペソと決まったわけではない。これより高い金額を言い渡されたら、私にはどうのしようもない。切れるカードというのは限られており、マニラに行く前に正確な金額を確定させておく必要があるようだった。

今現在 機能しているかわからないPRAのメルアドの一つに、更新をしに出向きたいが、遅延による罰則金はありますか、と問合わせのメールを投げた。すると一日もしないうちに返信。しかし営業時間の案内や訪問時の注意などのみで、肝心の答えが何も書かれていない。定型文で返事を寄越したのかと訝しみながら、改めて質問はこれこれで、と送ると、なんとペナルティーは無いとのご回答。ラッキー!

今回は何のオチもないが、以上の次第で日本帰国への道は開けたのであります。

(追記)PRAのオフィスに行ったところ、なかなかの賑わいだったが、少なくとも3組がSRRVのキャンセル(=預託金の返還)の申請ということだろう、その証明書の収まっている黄色の厚紙ファイルを手にして窓口で話をしている光景が見られた。移動規制によって更新に行けなかったのに、それに対してペナルティを払えとは何事だ、こんなビザなんて辞めてやらぁ!*3 となると、ただでさえコロナ禍でビザ取り消し者が続出しているのに、これ以上は、という判断で当面の間 ペナルティ無しになっているのかもね。

*1:現地の少し高めの日給に相当する

*2:フィリピンでは職業を訊くのは全く失礼には当たらない

*3:一部では「特別監査付き観光ビザ」とさえ言われている