フィリピンで働く!

またまた間が空いてしまった。フィリピンの労働省が外国人の就労の状況を監視するという不穏なニュースも入ってきているが、今のところ私は、以前に想像力を逞しくして考えたような拘束に遭ったりしていない(当たり前か)。

ニュースでは、AEP(エイリアン・エンプロイー・パーミット(外国人雇用許可証))を発行しているDOLE(労働省)とPRA(フィリピン退職者庁)が連携してAEPを取得している外国人を監視するということだが、大きなギモンが2つある。
まず、驚かされたのが「え? 今まで情報の共有とか してなかったの?」ということだ。AEPを取得すれば働けます、というのは当時の(往年の?)SRRV(特別退職者居住ビザ)のメリットの目玉の一つであり、「取得に際して行政機関とのやりとりをサポートします」(具体的に何をしてくれるかは不明だが)とまで謳われていた*1ので、申請があればその可否を含め、てっきりDOLEからPRAにフィードバックがあるのかと思っていた。そうではなく今まで連携がなかったということだ。どうも腑に落ちない。
それとも昨今の事情に鑑み、改めて連携をアッピール、ということなのだろうか。

もう一つのギモン。 現在AEPを取得しているSRRV保持者は366人、これを監視するということであるがSRRV保持者の総数をご存知だろうか。7万人である。”特定国”となってしまっているC国だけでも2.8万人いるとのことだ(※2.8万人というのは帯同の家族を含めての数で「若い中国人が大量に」と言うのは話を膨らませすぎ、という説もある。まぁそれでも国別の数ではチャイナが抜きん出ている)。そうしたなかでの「366人」を監視して、どうなるのか、といった点だ。
違法な就労を防ぎたいのなら、むしろAEPを取得していない層を監視するのが尤ものように思われるが違うのだろうか?
余計なお世話ではあるが、以前も触れたように、それだけの数のSRRV者の”監視”を限られたPRA職員で、一体どうやって行うのだろう?「監視」というからには、第一義的には「目」を使って見るのであり、ポリスの手も借りて一人ひとりの行状を見に行くのだろうか? それとも、もう少しサイバーチックに発信チップでも生体に埋め込むのか? はたまた、最近のコロナでもあったように、一日一回 居場所の情報をスマホから送ってもらうとか?
いずれにしろ、手間をコストがかかってきて、その割りにそこから得られる信頼性はたかが知れている。
監視とはAEPのファイルを捲る以外に具体的にどうするのか。

もう一つ、同じニュース内で、「彼らが退職生活を許可されているのは地域社会への貢献を期待されてるからだ。つまり才能だけでなく経済的な貢献も必要」
という文言も見かけたが、「経済的な貢献」は、平均的なフィリピン人の20年分の労働対価にも相当するドルをフィリピン国内の銀行に預けたSRRV申請の時点で、その多くを果たされているように思うのだが、私の考えが違うのだろうか。

 

さてこうしたニュースの方も「働く」というお題に微妙にオーバーラップしているが、本ポストの本編はここからである。( いつも通り 前置きが長いので、実際の出店の様子だけを知りたい方はずっと下の●印まで移動してくださいです… )

12月中旬から、私はフィリピンで働いている。本来SRRV保持者の私はAEP無しで働くことは違法である。しかしここフィリピンでは法律はあってないようなもの、というか「法令」という体系というものは、上意下達のピラミッド式に制定・運用されているのが本来だと思うのだが、こちらの国では、中央が定めた決まりより地方政府だったりバランガイ(村くらいに相当する行政の最小単位)だったりの運用の匙加減の方が実務上は重んじられたりしている。私も2017年だかにDOLEの支所の職員から、AEPの発給はいいから勝手にやってくれと言い渡された経験もあるので、「それではこちらの好きにやらせてもらう」とばかり、コロナ禍の金欠の下、飲食の商売に乗り出したというわけだ。ちなみに村長からは「このバランガイの中ならどこで商売してもいいよ」というお墨付き(いや口約束か)を頂いているので、バランガイ的には白に近いグレー、中央政府的には黒、ということになる。

当ブログを通して読んで頂いている方には、料理なら今までも作って売っていたんじゃないの? とお思いになるかもしれない。私が複数のフィリピン人から聞いた情報によると、自宅の軒先などで料理を作ったりものを売ったりするのは「ビジネス」の括りに入らず、零細な家業ということで役場への届け出や納税なども不要なのだという。境目を訊くと、瓶入りソフトドリンクを扱っているか否か(冷蔵庫が要る)といった辺りらしい。いかにも南国の、ざっくりした仕分けである。
というわけで、今回はこうした自宅周囲ではなく、各市町の中心部に大教会とセットで必ずある「プラザ(広場)」への出店に踏み切った、ということである。

上述のように、自宅前でなければ、通常は必要な届け出一式(衛生証明、防火点検環境料の支払い)が必要である。しかし今回はそれらを力技?で一気に省いての強行出店であり、そこに至る経緯は以下の通りである。

私がフィリピンに着いたのが2016年。1年目か2年目かに日本語を話せる6、7歳上のピーナちゃんと知り合い、市場の小さな食堂を借りて日本のメニューでも出せないかな〜、なんて考えてた私はそのピーナ氏に各種届け、根回し、通訳をお願いした。DOLEに同行したのも彼女だ。日本では水商売をしていたと思われるピーナ氏は、私が依頼者であるという立場を利用し、様々な理由をつけて金を無心するようになってきた。
依頼料ということで初めは目を瞑っていたが、フィリピン人の金へのだらしなさは、彼女も同じで、「来月ニホン行ってシゴトスルダカラ」などといった真偽不明の言も添え、少なくない金額(フィリピン比)を次々に言ってくる。さすがに途中から返す気がサラサラないのだろうと気付いたが、一人の人生をお金でわからぬ方向へ大きく変えることができるかもしれない、という局面に、おかしな話だがなんだか お金を貸すのが面白くなってきて、少し予算オーバー?したところで打ち切った。
結果としては、Pana製の冷蔵庫と、姉の家に電動三輪車(日本では年配の人が乗るやつね、フィリピンでは歩くのが嫌であるらしく全年齢が乗っている)が増えるという穏当なものとなった。別にギャンブル狂にも麻薬中毒にもならなかったのである(当たり前か)。
まぁその件は、当方の蓄えは当面あって、市場やプラザ近くの良い立地であるこの宅に、ライスでも時々貰いに行って浴室も借りて、10年くらいかけてチャラにさせてもらえばいいか、としていた。

そうして利用していた折のコロナ発生である。ライスを貰いに寄ったところ、(高齢の母も居ることから向こうとしては当然なのだが)門前払いに遭ってしまった。
自由に日本に帰ることもできなくなり、このままコロナが長引けば手元の日本円が尽きてしまうので、今年に入って事情を話して少しずつでも返済を、とお願いした。しかしあれこれ理由をつけて、本当に1ペソたりとも返してくれない。なにか私に恨みでもあるのだろうか?
生きているうちにもう一回くらい日本に行きたい(買い物のため)と思っていたので、どうにかして工面をつけたい。実はもう一人、こちらのピーナ氏の知り合いのご婦人にも少なくない金額(同)を貸しており、そちらは市の助役の寡婦ということで借金があるのが息子ら家族に知れるのが嫌らしく、そこを衝いて、ご自宅に伺うなどして毎月500ペソを返してもらう約束に漕ぎ付けていた。しかし上のような状況のもと、返済のペースを速めてもらおうと以前に登場した、日本の料理をほぼ無料で食べさせてあげていた日本語を話せるフィリピン人男性を伴って会いに行き、「少なくとも1500ペソ、お金があったら2〜3000ペソ」という賃上げに成功した。毎月500ペソなら、毎日20ペソにも満たず、子供のお小遣いのレベルである(家賃300ペソのお前が言うな)。そのペースなら返済までに10年かかることになり、先に債務者が死んでしまう。
実は、この「毎月1500ペソ」だけで、慎ましい生活を送るなら大分ラクになる(手持ちの日本円の持ち出しがほぼ止まる)。ピーナ氏の方の交渉が上手く運ばなくとも、まぁまぁの成果としても良かったのだが、少し痛い目をみていただこうかと(※この人物に現金を盗まれたこともある)、フィリピン人男性に手伝ってもらって、話をバランガイに持ち込むことにした。

しかし、この村役場のキャプテンというのは、当ピーナ氏の叔父に当たる。招集状が自宅に届き、別日で出頭して事情を申し開きしたようだ。容疑は一部否認、借金はあるけど、5000ペソだけ、とのこと。指定の日に三者(四人)でのミーティングがあり、ピーナ氏とこちらのフィリピン人男性が事務所から出て何やら話。ガラス越しに見るとこちらの男性の方は、立って腕を組んだり、机に手をついたり、「怒っているがやり込められている」時の仕草・表情…。
マジかよ、と思っていると戻ってきた彼は「考え、違うよ」。つまり異常な思考の持ち主で、これ以上相手にせぬ方が良いとのこと。どうしたのか訊くが詳細は語ってくれない。彼は市の役場に防災課のチーフとして勤めていたが、「公務員」(フィリピンではやりたい放題)だった彼の、何らかのスネの傷を知っている(彼女も役場に顔が広い)か、警察関係者にも顔が利くことから、何か脅しがあったか。
この後、私を助けようと息巻いていた彼はドーンダウンし、ピーナ氏に電話をかけることすら嫌がるようになった。

こうなると最早、自力でやるしかない。11月下旬、ピーナ氏の家を訪れた私は、その数日前に聞いた、ピーナ氏所有のタコ焼き焼き器を借り受け、プラザでタコ焼き店を開く、と話をするが、私を野放しにして商売をさせる、ということに嫌な臭いを感じ取ったのか、タコ焼き焼き器は現在「隣の市の「ビジネスパートナー」の所」にあるという…。数日のうちに自らの言を翻した、というわけだ。この日の前日も、返済をしないなら、自分で稼ぐから仕事を紹介してよ、と譲歩をしつつ迫ると、PCの仕事ある、高給だ などと言っていたが、これまでずっと嘘の「言い訳」で来た彼女が、今回は本当である、ということは無い。

私の「設定」では、ビザ更新料が枯渇しているから その分だけでいいから返済してくれ、としているわけだが、それへの対応も、村長が「助ける」、とのこと。仮にイミグレなどにどのような人脈があろうと、払わなければならないものは払わなければならない。支払いなしで どうやって一地方の村長が中央政府の機関から発給されている特別ビザの更新を勝ち取れるものか。
それ(バギオ市のPRA支所への同行)は私のコロナ接種回目が完了したら、というふうに日時が設定されているがそんな荒唐無稽なことを当てにしていても仕方ないので、もうあなたの言うことは信じない、私がやることなら100%お金が入ってくるでしょ? と言い渡し、プラザで仕事するから、台車を置く場所だけ貸してくれない? 家の後のスモールスペースだけでいいから、と言うと、そんなことで自分の債務が一時的にでも晴れるなら、と思ったのか、使用の了承を得られた。
ピーナ氏は、衛生証明とがないとダメとか台車もキレイなものをとかいろいろ注文をつけてきたが、私には役場への届け出をする資格(要AEP)も、そして「つもり」もない。もしも各方面関係者に違法営業はダメだよ、と言われれば 債務者の名を出して、日本に帰りたいけど、お金を返してくれないから帰れないんです、だからこうして仕事、No Choice なんです、とやればいい。

これでピーナ氏としては、借金を返していくか、私の営業を認めてサポートしていくかの二択になる。私の戦略は将棋でいうと、飛車角両取りとはいかないまでも銀桂両取りくらいの一手なのである。

また「言い訳」を新しく考えて、裏手を使う約束を反故にされては堪らないので、あまり日を置かずに宅を訪問、留守番の老母氏に、彼女はOKと言ったと断って、柵で囲った車庫を作る作業に着手。台所から廃水がその近くへ垂れ流しとなっており、排水パイプを半割りの竹で延長し、敷地の外へ誘導。ゴミだらけの地面もきれいにして均した。柵を立て、午後には私の畑から竹製のドアを担いできた。買っておいた錠前で施錠、かくして、またしても「一夜城」を築き、フィリピン人のド肝を抜いた(かもしれない)のだ。

ピーナ氏は、ただ台車の車庫が裏手にできた、としか思っていないだろう。そして、この日本人に大したことはできないだろう、とも。しかし上で触れたように二択を迫る一手であり、また コロナ終焉に際しては、プラザと大教会に隣接する 町唯一の私立学校のランチ需要も取り込もうとする意欲的な進出、足掛かりなのだ。


●●●さてここからが本題の本題。●●●
12/8 、お好み焼きを作る支度を整えて村の自宅を出ようと思ったら、6時で日が暮れており、こんな時間にトライセクル(三輪タクシー)ってあるんだっけとハタと気付いた。乗り場に体だけで歩いて見に行くとやはり無い。
翌夕、仕切り直しということで5時過ぎに乗り場へとゴロゴロ台車を引いていったが、明るい時間にも拘わらずトライセクルは無し…。これ以上 日を延ばしても、買ったキャベツが傷むので、もうあんたらに頼まんわ、とヤケになってそのまま台車を引いてプラザに向かうことに。村からプラザは徒歩25分ほどか、ぐうたらなフィリピン人なら誰も歩こうと思わない距離であり、途中で一緒になった知り合いの女子高生は、今からプラザに行くと聞いてゲラゲラ笑ってた。

プラザではすでに屋台村が形成され、邪魔しないようにそこから少し離れた広場の出入り口にて展開。ロウソクを用意していたがクリスマスの電飾などに煌々と照らされ、それは不要だった。
看板というほどでもないがペラ紙の写真と価格表を台車の前側面に貼り調理開始。

今まで公衆の前でお好み焼きを販売したことは二度ある。
一度目は市場外周の夜市にて。27センチの大判のお好み焼きを宙返りさせて、ワォ、ベテラン〜! という声を受け、即座に完売。このときは夜市の代表者を名乗るご婦人から咎められ、一日だけだよとお目溢しをもらい作ったのだ。
二度目は忘れもしないコロナ規制の前日だ。ピーナ氏宅で調理をし、フライパンを抱えて私学の門前に陣取った。その前日はドライカレーを出しており、そちらはビジュアル的に今ひとつだったということか さっぱりだった(公立小学校では馴染んでおり よく売れた)。お好み焼きならトマトソース、マスタードソース、そして網掛けのマヨネーズと彩り良く、大きさのインパクトもある。ピザだ、として売ればドライカレーよりは通りがいいだろう。
そして、多くの生徒が校門から出ていくなか、少し肥満気味の男子高校生が一切れ買っていった。それだけで収穫は十分で、明日、明後日と倍々で売れるはずだ。はずだった。そこへのコロナ。

私学でのたった一切れの販売は大きな意味を持つ。私はお好み焼きを村ではそれを20ペソ、市場内では25ペソで売っていた。そしてこの私学では30ペソで売ったのだ。隣市のショッピングモールでは厚手のピザを28ペソで売っているのであり、それと同じくらいのボリュームでそれよりおいしい もしくは珍しいのであれば30ペソでも決して高くはない。そのことが証明された瞬間であったのだ。

今回のプラザでも同じ30ペソという値付けである。数日前の現地調査でも家族連れや、MTBの青少年らや、ティーンエイジャーのダンスグループなど、いずれも「余暇」を楽しんでいる層であり、財布には自由に使えるお金が入っているはずだ。
始めは物乞いに来た子供(それほど極貧というわけではなく小遣い稼ぎ)が見ているだけだったが、人が人を呼ぶというわけであっという間に十数人の人だかりになってしまった。お好み焼きを宙返りさせる場面では、またもGwapo(カッコイイ)!などと声が挙がる。
それでも初見の食べ物に手を伸ばそうという人は多くはなく、売れたのは半分ちょっと。反省点などを帳面につけて待つが、買う人はおらず、初日の売上は170ペソ、と記して店じまいに取り掛かろうと思ったところ、広場から帰る波が来たようで、8時過ぎ 残り全てが売れてしまった。フィリピン人は冷めた料理でも敬遠はしないということを忘れていた。如此して初日は無事完売で終了。関係者から声を掛けられるということはなかった。

二日目は2枚焼いてみることに。フライパンをティッシュで入念に拭いて2枚目に備える。これを疎かにすると、焦げ付きでお好み焼きの滑りが悪くなり、宙返りに失敗する可能性が出てくる。と、こういったポイントも村での調理経験があってこそ。そう、いままでは爪を研いでいた期間なのである。人並みに稼げれば日本に帰って現金を取ってくるという面倒な手続きをする回数を大きく減らせる。
二日目の売上は、415ペソ。2枚全部売れれば480ペソとなるが差額は途中で私の胃袋に収まった分ということである。南無。

二日おきに未明の市場に、朝市として売られている半値のキャベツを買いに行くため疲労が貯まり、昼寝も挟むことから、三日目辺りから、日付感覚がわからなくなってくる。オーバーワークである。
その三日目は410ペソ。買いやすいように初日から3サイズで売っている。30ペソ・20ペソ・15ペソだ。売上の数字の合計がおかしくなっているかもしれないが、それは売れ行きが思わしくないときに子供に10ペソや5ペソの分として切って売っているためである。一切れが30ペソ、と1/8カットのイラストで明示してあり、10ペソ出した場合のサイズは見当がつきそうなものだが、いざ私がそれを切り出すと、その小ささに驚いて声を上げる子供がほとんどだ。小学校低学年ならそうした話もわかるが、以前記した通り、驚いているのは中学生である。こちらとしては溜め息しか出ない。
以下、連日の出店で、275ペソ、95ペソ、150ペソ、480ペソ、460ペソ、140ペソ、390ペソ、と12/18まで営業を続けた。波はあるが間違いなく成功の部類である。常連で買ってくれるご夫婦もいた。
18日は、日保ちも兼ねてかなりの「甘くど」にしたオリジナルレシピ「肉ラー油」もサイドで販売、持ち帰りオンリーで大小3パックを販売して80ペソの売上も追加で得られた。

出店以来、じわりじわりと屋台村との距離を詰めていったが、店舗関係者から苦情は来なかった。ポリスのパトロールも常駐しているのだが、それからも怪しまれることはなかった。盗みや喧嘩の監視にあたっていて、商業の関係は管轄外ということか。私としては声を掛けられた方が、次の展開となって面白いと思っているのだが。

クリスマス近くは子供が小金持ちになるので、村での調理販売に復帰。

 

 


 


私の使っている調理台車はバナナの出荷木箱を2つ連結させて、下部にキャスターを付けた お手製の3年もの。デジカメが壊れたままなので出荷木箱のイメージだけ

 

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お好み焼きの写真もデジカメが壊れているので、以前撮ったものを再掲。特別開発の南国フルーツ味の紅生姜 添え!

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というわけで、作りたいものを自由に作って、自由に売る。

私のお好み焼きを食べた人の半分くらいはおいしい! とわざわざ伝えてくれる。そこら辺のストリートフードを食べておいしいと声を上げる人はまず居ないので、私の料理が珍しい(のでコミュニケーションを取りに来てくれる)か、かなりおいしいかのいずれか、もしくはその両方ということである。

おいしい! と直接と言ってもらえるのは、あぁ頑張った甲斐があったなぁ、と励みになる。

おいしい、と言ってくれる人の国籍が、別に日本じゃなくてもいいよ、という人は一度フィリピンの田舎に来てみては?

 

 

*1:SRRVのメリットは、効用の大きいもの(私見による)から順に、
①年会費を払えば原則的にフィリピンに永住が許される
②帰りの航空チケットがなくとも入国が許可され、審査も簡単にパスできる
③AEPを取得すれば働くことができる
④国内の口座に振り込まれる年金に税金がかからない
①はビザ自体の本質的(当たり前)なものなので除外すると実質的に2番目に大きなメリットと思われる「労働も可能」という看板が降ろされたことになる。一時はAEP取得なしでも働けるようになるとも言われていた頃もあり、その退潮たるや、トホホ…。