フィリピンの隠れた暗部、初等教育とその内実

今週のお題サボる」

 

 

サボる。

それは、平常の行程が継続的に編成され進んでいくなかに於いて、一時的にその業務を意図的に中止し、職場なり何なりから当人に与えられている責務を放棄する、といった場合に用いられる語句なのだと思いますが、全て”サボリ”で構成されている、そういった場合も、それを”サボり”呼ぶのでしょうか――。

 

 

 

『シリーズ フィリピンの闇』、今回は小学校での教育態勢を書き綴っていこうと思います。  ( 闇度 :★★★★★ ビャーーッ!! )

 

 

5年前、初めてフィリピンの小学校を目にしたときは大変驚きました。子供の多さやその賑やかさもさることながら、日本の小学校と一番違うのは学校の内外にお菓子や軽食の売店が数多くあること。

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写真は文化祭のときではありません。学校の向かいの民家は、もれなく駄菓子屋を経営し、朝・昼・下校の時間は児童でごった返します。そこにアイスやマシュマロを売る屋台も加わり、さらに風船やおもちゃが当たるクジ屋、果てはヤドカリを売るおじさんまで来て、本当に祭りのような有様、こんなのなら学校に行くのが楽しくて仕方ないでしょう。

当時、私は 町の防災・レスキューチームのチーフであるフィリピン人男性と行動を共にしていたので、彼が地震津波のときの避難の講習などで小学校に出入りしていたので、校長先生らとも知り合いになり、私も顔パスで学内に入れるようになりました。休み時間の校庭は子供たちの騒ぎ声でいっぱいになるのですが、見て回っていると、どうも授業中もかなりガヤついているようです。私に気付いた3年生のクラスの担任の先生が、ちょうど国語(タガログ語)の時間だったこともあり、授業に参加してもいいよ、と言ってくれたので、飛び入りで授業を受けることになりました(日本じゃ、ちょっと有り得ない展開ですね)。クラスの子たちは、外国人がクラスメイトになった、と大はしゃぎしてしまい、私はそれを宥めるのに一苦労でした。先生は時折、私のために単語を英語で言い換えてくれました。ちなみに、児童のほとんどはイロカノ話者なので、イロカノ語をタガログ語でどう言うか、が「国語」の授業になります。

そのころには、私は校長先生らから非公式、口頭ではあったものの校内での”営業許可”をもらっていたので、学校近くの自分の家でドライカレーやお好み焼きを作り昼休みの間にそれを売っては、昼過ぎの1〜2時間をタガログ語の勉強 兼 学級の参与観察とさせて頂いたのでした。

さて、その様子なのですが――、女の子は隣りの子とのおしゃべりに夢中で、男の子は立ち歩き、終いには小競り合いを始めたりしています。先生は教鞭というか短めの竹の棒を持っていて、それで教卓をバシバシ叩き静粛にするよう声を上げます。授業はなかなか進みません。まさに「学級崩壊」と言い表されるような状態でした。担任の先生曰く、親の躾がなっておらず、手を焼いている。棒で子供を叩くとポリス行きになってしまう、とのこと。
こんなこともありました。お腹が空いたということなのか、授業中にも拘らず私の所へドライカレーを買いに来る子も…。さすがにこれはマズく、ママヤ(あとで)と諭すのですが、先生がNo problemとのご発言…。他の子も続き順番待ちとなってサーブ。これじゃあ授業の体を成してません。
他の学級も見て回りましたが、高学年のクラスは多少マシであるものの、児童全員が集中して先生の話を聞く、といった様子は見られず、どこも似たりよったり。全てのクラスがこのような状態であるというなら、学級崩壊ではなく、「学校崩壊」です。もう滅茶苦茶だ。


話は逸れますが、オーストラリアの赤十字の出資で手洗い場を新しく設ける工事が行われ、手の洗い方、さらには歯の磨き方がペイントで描かれましたが、その後も熱心にそれらを励行している児童の姿を見た記憶はありません。その工事が終わると同じく赤十字の資金で「低身長・低体重」の学童に向けて、昼食の炊き出しというのが始まりました。「対象となった」児童の一覧が資料として作られ、始めのうちは手洗い場に併設された机のあるスペースで食べさせていたのでしょうが、食べに来ない子、帰って自分の家で昼食にする子、そもそも学校に来ていない子などまちまちであるためか、対象以外の子も食べているようでした。これでいいんですか、赤十字さん…。私がそれ以上に気になったのは、昼前の2、3時間の調理に教員1、2名が割かれている、ということです。それで肝心な学習の方が疎かになってたりはしないんだろうな…。保護者のお母さん3、4人が手伝っていますが、買い出しや調理の主導は先生方のはずで加わらないわけにはいきません。
そうして出来上がったものを(私なら掲示されている同じ予算で もうちょっと違ったものを作るけどなぁ…、と思いながら)見ていると、私も食べていいよとのこと。さすがにそれはダメでしょ、と遠慮しましたが、ワラン・プロブレマ、とのこと…。メニューは豚肉のシニガンスープで、村の子供たちと同席しておいしく頂きましたが、多くの子が野菜を残すのです。食べ物を残したり捨てたりするのは私の信条に反するので、文句を言いながらおかずやご飯のお椀を貰っているとどんどん増えてしまい、すっかり食べ過ぎになっていしまいました。欠食児童にバランスの取れた食事を、との趣旨のはずですが、これでいいんですか、赤十字さん…。

 

それからしばらくして、フィリピンでのターニングポイントとも言えるある事件が起きます。それをきっかけに何か行動を起こした「転機」というやつではないのですが、フィリピン社会の見方が変わったというか…、いや、薄々は気付いていたのかもしれませんが、現実として突き付けられたというか。

小学校の向かいのネットショップで、近所の中学生を少し話をしているところでした。小学校を卒業して、私立の中学校に通っているこの子は算数はどれくらいできるのかな、と ふと思い、まず分数は、と ”⅓+⅓”とノートに書いて、差し向けてみました。彼はBasic、と胸を張って私の手からペンを取ると、余裕の表情で記入を始めました。流石に中学生ともなると簡単か、とノートを受け取ると、そこに書かれていた数字は「8」。

え…? 何処からその「8」という数字が出てきたのですか…。
どうやら式に出てきている全ての数字を「プラス」したよう…。慌てて私は正しい解答を、説明も加えながら彼に言うのですが、英語は得意だけど数学は苦手なんだ、とのこと…。もしや、と思ってその時 店に居た小学生〜高校生に訊いて回るも、正答できた子は一人もおらず…。ガツンと頭を殴られたような感じがしました。

一見普通に見えるこの子たちは、こんな貧しい教育しか受けてきていないんだ。 もう少しで泣きそうになりました。
店の前に二人のご婦人が通りかかり、縋るような気持ちで同じ分数の問題を出してみましたが、わからない、とのことでした。高校生になっても成人しても分数がわからない。

予想以上にとんでもない所に来てしまった、どうしよう。今度は自分の身を案じて泣きたくなりました。日本の生活を手放すということはこういうことです。分数すらわからない人たちの中に身を置き、暮らしていく。
「進捗どう?」「⅓くらいっすかね〜」なんていうちょっとした会話もできず、給料日まではあと✗日あるから、この調子で行くと…という勘定もできず、宝クジの当選確率もわからないまま 少ない持ち金を毎週つぎ込む。そうした人たちと顔を突き合わせて暮らしていく。

 

 

分数というのは、小学校での算数教育の要であるともいえます。
それまでに習った四則演算が自由に扱えるようになって初めてその概念や計算方法を理解できるからです。また一方で”分数”は中学以降の、比や確率や直線の傾きなどにも繋がっていており、数学の基礎であるともいえるでしょう。
分数自体はさほど難しいとは思いませんが、そこまでの小学校の初等算数というのは、ある程度の忍耐を要します。私も九九を覚えるのが苦手で、百マス計算というのでしょうか、ランダムに配置された表上と表左の数字の掛け算をさせられて、ストップウォッチでそれを競わせるものだから苦痛で仕方なかった覚えがありまともあれ私は小学校の課程を修了し、一方でフィリピンの子供たちは中学生になっても分数ができない。いったいどこでそうした状況が生まれているのか。

すでに分数の単元のあるG5のクラスに改めてお邪魔して、一緒に授業を受けてみることにしました。
教壇に立つのは、学校No.2、教頭先生くらいに相当すると思われる初老のお方。男性の教員はこの一人だけで、校長先生を含め、あとは全員女性です。
そのG5のクラスは帯分数の加算減算の練習問題を解いているところでした。果たして、教える方が悪いのか、それとも教わる方が悪いのか。この一時間で見極めるつもりで授業に臨みます。
板書された式を、わかる子が手を挙げて解いていきます。なるほど、できる子はできる。すると日常的に分数を使わないので、社会人になる頃にはすっかり忘れてしまう、というわけのようです。私だって三角比や二次関数なんてもう忘却の彼方だものな。
さて、一通り答え合わせが終わったところで、先生が答えが合ってた子は――、と挙手をさせます。学級全体の1/4ほどの子が手を挙げました。もうちょっと多くてもいいけど、悪くもない数でしょうか。先生は教壇を降り児童の机の間を歩いていきます。わからなかった子にどこで躓いたか訊いて回って…ないです。
児童と二言三言 交わしてオワリ。わかってない子をフォローするんじゃないんですか…。
近くの席の2、3人の子が知り合いだったので、どういったふうに授業を受けているのかと見てみると、分数は全くわからず、式とその答えをノートに書き写しているだけ…。そんなんで次の問題が解けるようになるんですかね…。
教える方・教わる方、どちらが悪いか。

答え――「両方」。



まぁこのようにして、掛け算すら怪しく、分数もできないという子が毎年大量に小学校を卒業していきます(分数もわからない子が、中学校で何を勉強し、理解できるというのでしょうね…。数学の時間はずっと写経をするのでしょうか?)。
分数もできない子が、というのはちょっと違います。分数を理解するだけの、努力をしたことのない、または忍耐力がないという子がどんどん卒業していくということです。そうした人たちの集合体である「社会」がどのようなものになるか。それは簡単に想像がつきますね。
よく言われるフィリピン人の国民性、いい加減、飽きっぽい、計画性がない(結果として嘘をつく)といったことは、全てこの「分数すらわからない」というところから出発し、そしてまた、帰結しているのです。

 

ここまで日本人の目線で学校教育や初等算数のことを書いてきましたが、フィリピン人は、分数もろくにわからないといったことをどう思っているのでしょうか。

みなさんは、もし自分の子が中学生にもなって掛け算・割り算もできないということが発覚したらするならどうしますか? 大慌てでノートを広げ自身が鉛筆を握って自ら教えることでしょう。しかし、高校を卒業しても三角比がわからないといった場合はどうでしょう。学生時代は自分も数学が苦手だったからナァ…、で済んでしまうのではないでしょうか。三角関数は測量会社か電力会社にでも入らない限り使わないと思うのですが、フィリピンでは、それと同じ具合で四則演算を超える難しい数学は必要でないと観念されているのです。

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コロナ前、ジープニーに乗っての村からの登校。学校は勉強する所ではないので、みんな行くのが楽しみ

 


では市場の商人はどうでしょうか。量りには1/2や1/4といった分数が使われています。しかしそれらはハーフやクウォーターとして理解されているはずで、1/5とか3/7とかといった、緻密な計算は客も店も求めていない、つまり分数といった概念一式が、実社会としても特段必要とされていない、そんな社会なのです。

 

G5のクラスではこんなこともありました。一人の子がお腹でも痛いのか何度でもトイレに入っていきます。私の見る限り、フィリピンの小学校ではトイレは教室ごとに設けられており、授業中でももちろん利用は自由です。日本ではトイレはなるべく休み時間に済ませておいて授業中は極力席を立たないように、ということになっています。しかし考えてみれば、なぜこのような決まりになっているのでしょう。排泄は個人の、しかも生理的な欲求であり、学校での集団行動とは全く関係がありません。
本の学校で子どもたちが学ぶのは、不条理に見えるルールでも、我慢してそれに従わなければならないときがたくさんある、ということだったのではないかと今振り返れば思います。
一方、フィリピンではどうでしょうか。校庭や教室にはゴミ箱が2つセットで置かれています。落ち葉や生ゴミなど生物が分解できるものと、それ以外のものといったことで別れています。しかし実際はごちゃごちゃ。校門の近くには鉄・ペットボトル・瓶の分別回収カゴもありますがこちらも混ぜこぜ。子供たちは、「ルールはあるけど守らなくてもいい」ということを学習します。

先のトイレの話は一例に過ぎません。
日本では様々な場面で、スケールは違えど、似たようなかたちをした「不条理に思えるけれど従わなければならないルール」があり、みんな それに直面してきた、そして、直面していく、のではないでしょうか。

それが嫌なら随分前に書き記したように日本を出るという選択肢を取るしかないのです。
保険を使って安価で質の高い医療を受けられる。お店へ行けば客として客らしく扱ってくれる。友人は誠実できちんと約束を守ってくれる。法律がその通りに運用される。――そうした当たり前すぎる一連のものを全て捨て去るということになるのでしょうが。

 

あとはそれをもってしても余りある幸せを、フィリピンで得られるかどうか、といったところでしょうか。

 

 

 

 

所持金残り:4205ペソ と3万円
(帰国旅費・ビザ更新料の取り置き16万円を除く)
予想滞在期限:2022年4月頃