南国フィリピン、最近の営業収支&生活費を公開

今週のお題「行きたい国・行った国」

 

私の行きたい国は「日本」です

 

 

いつになく今週のお題を一瞬で消化して、本文に入っていこう。

冗談でも何でもなく、本当にその通りなのだから――。

 

 


 

 

またまたごっそりと間が空いてしまった。まだしぶとくフィリピンで棲息している。

 

2021年12月に始めたお好み焼き売りは、コロナ明けでプラザ(大教会前の広場)から町の公設市場のナイトマーケットに昨年6月より場所を移して ほぼ毎日営業を続けている。

忙しいアピールをする訳では無いが本当に時間が取れず、ブログの方まで手が回らなかった。

時間がないのに加え、最近は資金の逼迫もあり、一時間15ペソのネット代の捻出も慎重にならざるを得ない情けない状況にある(悠長にタイピングすることもできず、ノートに下書きしたものを見てタイプしている)。

 

今回は先輩諸氏が生活費を公開しているので私もそれに倣って、フィリピンに於ける”困窮邦人”の生活収支をお見せしたいと思う。この生活水準の在比邦人がその生活費をネットに上げるというのは他に例が無いはずで、まぁ半信半疑で(住居費は桁が二つ違う)楽しんで頂ければ、と思う。

 

先輩諸氏の動画との一番の違いは費用の大小なのではなく、その表示が円なのかペソなのかという点である。多くの場合は単位が円のみで示されている(時々、口頭でペソに換算している)のだが、それが私と比べてどういった意味を含むのか、ちょっと気に留めながら読み進めて頂ければ幸いである。

 

 

生活費公開というより、現在の持ち金、または貯蓄動向で日本に(現金を取りに)帰れるのか、直近で試算したものの中に生活費も含まれていたということなので、その順に、まずは帰国できるかの状況やその費用の話から始めたいと思う。

私のビザは、SRRV(特別退職者居住ビザ)なのだが、コロナ禍もありマニラ首都圏に行けなかったこともあり、年一回のID更新(年会費という名目となっている)を三回分も怠っている。$360/年が発生し、締めて$1080也。ドルを✕55でペソに直すと59,400ペソとなる。現在の手持ちの日本円は18万円、最近になって円が復調してきており、0.4000とすると72,000ペソということになる。これから差し引くと残りは12,600ペソ。パスポートも切れてしまっており、10年ものなら7,200ペソがかかり、これで残り5,400ペソ。これらの更新にマニラに一往復するのと日本へ向かう一路分で計1.5往復分のバス代1,200ペソ。そうすると残りは4,200ペソしかない…。ヒコーキのチケット代は安いのを狙っても諸費用を含めると10,000〜15,000ペソは必要だろう。1月現在のサイフ内には1,700ペソ、銀行には2,000ペソがあるが、それらを足してもヒコーキ代には届かないことがこの試算で明らかになった…。マジかよ…。どーすんのこれ…。

0.4000が0.4400まで戻れば7,200ペソの資金増になるがそーゆーのをアテにしててもね…。

 

 

幸いなことに私はフィリピンで職を得ているので、次はそれを中心に生活費を見ていこう。

 

現在、毎夕5〜8時半くらいの間でお好み焼きを作って売っている。プラザ時代のノートを見返してみたところ、2枚焼いていた日も結構あったよう。それと比べると最近は1枚売り切るのがやっと、と低調に推移している。

プラザはセブイレも近くにあり、人出がさほどでもない割に お金持ちが多かったのだろう。現在の市場ではそれらが逆。仕事帰りの人々や学生で賑わうが、当方に関して言えばそれに伴った売上とはなっていない。特に40代以上の男性は、おかしな中国人から物は買わないということなのだろう、家族連れでもない限り絶対に買ってくれないし、目を向けることもない。 

毎日買ってくれる御婦人が二名。一人は娘さん(30歳過ぎくらいか?)がアニメ好きで私のお好み焼きを買ってくれて、そのお母さんということで平日は毎日2切れ買っていってくれる。もう一人も「私のディナーなの」ということで毎日1切れ買っていってくれる。年末年始で10日ほど休んだときには「I miss Japanese pizza」との言を頂いた。たまに「アリガト!」と言ってくれる。いずれの御婦人も親日派なのである。他の準常連の方々もその多くは親日派であり、アリガトーといってお好み焼きを受け取っていく。

この親日というファクターは、私に対してフレンドリーであること、好奇心が(食に対しても)高いこと、学業を修めていて知的であること、それ故に所得が高いこと など好ましい属性をごっそり引き連れてきており、私のPizzaが少々高くても買ってくれることに大きく寄与している。

買わない人たちというのは、全てこれらの逆で、特に食に対して保守的な人が多いというのが困りものだが、まぁ私の方もそういった人たちに頭を下げてまで買ってもらうつもりもないので、そこら辺のものでも食べていればいい、と思うことにしている。それにしても、私の調理台車の前を、珍奇なものを売っているのに、目も向けず素通りしていく多くの人たちを見て、こんなにキョリが近いのに今後も一切、彼らの人生と私の人生が交差することはないのだな、と思うとなんだか不思議な気持ちになる。

 

西隣りのTAKOYAKI店は連日盛況。

3ケ入 約150グラムで20ペソ、私のPizzaは同じ150グラムで1カット 40ペソ。タコヤキの二倍の値段ということになる。

フィリピン在住の方ならご存知なのだろうが、このエセタコヤキは白・黄・赤の3種のひたすら甘いソースがかかったもので、日本人からすればお金をもらっても食べたくないシロモノ、つまり罰ゲーム級の味わいなのである。何かの折に2、3度食べたことがあるが、その味と あのタコ焼きがどうしてこんな姿に、という思いとで、遠い所へ来たなぁ と本当に泣きそうになる。

この安値TAKOYAKI店はそのソースがあり得ない量かかっており、もう「甘ソースのタコヤキ添え」に名前を変えたらどうかと思うくらいだ。これが安さもあって常に人だかり、ということなのでフィリピン人の味覚は推して知るべしである。私はそうした中での戦いを強いられているわけで、私のブースの前は客の真空地帯である。

 

私のPizzaが特段高いというわけではなく、向かいのShawarmaは、やはり150グラムほどで50ペソだったのを1月中旬から65ペソに大幅値上げした。このShawarumaの50ペソというのは私のピザの価格を設定するにあたって参考にさせていただいた。プラザ時代のPizzaの価格は30ペソ。ナイトマーケットではキャッシュチケットと呼ばれる税金の徴収があるということが事前の調査で判明したので(写真の紙幣の下に敷かれてる「5」という数字の書かれた証紙がそれ。10枚なので50ペソの支払いをしたことになる。他の大人数で回しているおかず店などは100ペソをほぼ毎日切られている)、

それに耐えられるように値上げする必要があった。Shwarmaを買って計量・実食してみたところ、まぁ肉をメインにした料理であるので肉のおいしさはあるのだろうが、特に珍しいスパイス感があるわけでもなく、肉以上でも以下でもない。展示の肉塊がビジュアルとしてインパクトがある、中東料理であって珍しい、といった点だけが強みであるとみた。それなら日本料理であるお好み焼きは、中東料理より珍しい(Shawarmaはナイトマーケットで計2、3店あるし、ここの町より大きな市に行けばきっと常設店を見ることができるだろう。対してお好み焼きなんてマニラまで行かないとお目にかかれない)し、見かけだってカラフルでスパイス・ハーブ類はソースを含めれば20種類は使っているのだから、Shawarmaと同じ50ペソかそれ以上は取っていいだろう。しかし、急に20ペソも値上げするのか、とプラザの同業者の心情に思いを馳せ、またShawarmaにも敬意を表して40ペソという値段に落ち着いた。別に40ペソに縛る気はなく、2022年8月から投入したつけ麺では

40ペソや45ペソという値段でもよかったのだが、Shawarmaに挑戦する意味で50ペソとさせていただいた。この私のつけ麺というのは、フィリピンでよく売られている屋台のラーメンとは一線を画している。フィリピンのそうしたラーメンとは、麺はやや細めで麺量は間食に相当するためか結構少なめ、何といっても麺を茹でていないのが特徴だ。スープは牛骨や牛のホルモンで臭みがある。スープのおかわりは自由であることが多い。それでは、これはおいしいか。スープのおいしい店はあるものの、日本でいうところの焼きそば麺と給食のソフト麺の中間くらいのそれは、茹でてないがためにふっくら感がまるで無く、ボソボソなのである。麺には塩が多く入っており、常温でも日持ちするようにされているのだろうが、炎天の下で過ごすので麺にほのかに腐敗臭が漂っていることも3割くらいの高率で出くわす。

 

通常のラーメンを提供すると水が多く要り、運んだり管理したりするのに労がかかるため(スープが余った場合も大変だ)、つけ麺ならと構想を練った。その結果、図らずしも上記のラーメンの全て逆張りとなった。つまり太麺であり、茹でてあり、スープは濃いめで下が浸る程度の少なめ。スープではなくしっかりと麺を主役にした仕様となっている。少しはフィリピン人の舌に歩み寄りをみせるか、と甘めのスープにしてある。

スープの配合を完成させたあと、つけ麺について改めてネットで検索してみると、私のスープとは明らかに違う点があった。どこも結構「脂」を入れている。私のはポークキューブというクノールが出しているコンソメの豚味のものが少し入っているだけであとは、煮干しなど4つの乾物と多くの和洋中のスパイスで構成されている。そしてほんのりトロピカルフルーツ味である。もし私のなんちゃってつけ麺に下敷きがあるとしたらそれは故郷の8番ラーメンの唐麺かなと思う。あれに多めにラー油をかけて食べるのが好きだったのだ。大盛りを頼むと多すぎてしばらく食べたくなくなるのが難点だ。1.5玉を強く希望したい。

 

 

安値TAKOYAKI店の方は一家四人で回しているが、利益率が良くないのだろう、ボンバイ(インド人の金貸し)がほぼ毎日 顔を出している。営業店に借金取りが現れるとは地獄の光景であるが、ここはフィリピン。ナイトマーケット全体で見ても2割くらいの露店が利用しており珍しいことではない。

既製品のソースをなみなみと注ぎかけ、紙パック・紙カップの類いも買い掛けで仕入れているよう。こんなことでは自身が働いて利益を上げているのか、製品や消耗品を購入して業者を儲けさせてやっているのか分からない。目先の売上のことに気を取られて、利益のことを気にしてないのではないのだろうか、と他人事ながら心配になってしまう(以前の記事:『これがフィリピンビジネスだよ!』も参照されたし)。

安値TAKOYAKI店は西隣り。2つ東にはJpTAKOYAKI店が3ケ25ペソで売っている。

ソースは日本に準ずるたこ焼きソースがかかっているのだが、中身はカニカマかチーズかベーコン。タコどころか、市場で手に入るイカすら入っていない。この2つのTAKOYAKI店に挟まれる形で認知度のゼロのOKONOMI‐YAKIを作る私…。TAKOYAKIが日本オリジンだってどのくらいのフィリピン人が知っているのだろうか?

 


 

すっかり話が遠回りになってしまった。

遅まきながら、Jp‐Pizzaの利益も含めて生活費を羅列していきたい。
日本円での表示は省略させていただく。2.4倍ほどすれば近い数字になると思う。

 

 

Pizza売上320(@40×8Cut) ‐ 原料費等105 = 215ペソ/日、6,450ペソ/月

調理台車置き場料金(炊事場・水道付き)500ペソ/月

キャッシュチケット@50ペソ 週3回程度 600ペソ/月

残利益 5,350ペソ/月

 

 

食費 朝昼夕おやつ を 20・20・30・10ペソとして、

 80ペソ/日、 2,400ペソ/月

家賃 300ペソ/月

電気代 0ペソ

水道代 0ペソ

ネット代 300ペソ/月

交際費 0ペソ

通信費 0ペソ

交通費 0ペソ

 

貯蓄可能額(利益ー生活費) 2,350ペソ

 

 

表も何も作らず見づらくて申し訳ないが、以上のようになる。今年の夏頃に帰国をしたいのだが、これが6ヶ月続けば、14,100ペソ貯まる算段である。前述の現在の手持ち分7,900ペソを足せば心許ないながら、なんとか日本へ飛び立てそうだ。

 

 

12月の一時期、納税課の上層部の考えが変わったのか、毎日チケットを切られるようになってしまったことがあった。

親日層に向けて、あんたらに買ってもらわんでも何も困らんわ、とタカを括っていたのだが、さすがに収益が悪くなり、開始時間を繰り上げたり、Pizzaとつけ麺との2メニューにしたりして

対応に追われた。今は元に戻っている。

 

私はくだらないことで人を驚かすのが好きで、私のJp‐Pizzaを食べたフィリピン人が、マニラなり日本なりへ行って”本場”のJp‐Pizzaを食べることがあれば、「なんだこれは、ナイトマーケットで食べたものと違うぞ」、ということと「ナイトマーケットで食べたものの方がおいしいぞ」ということ2点で2度びっくりするだような、とニヤニヤしながら毎回焼いている。「そんな馬鹿な、このホラ吹き野郎め」と思った諸氏は私の 日本のものでもない、フィリピンのものでもない 無国籍Jp‐Pizza(なんだか私みたいだな)がどのようなものか、一度足を運んでいただきたい。

 

はてなブログを見たと言って頂いた方には、通常価格 お好み焼き40ペソ、つけ麺50ペソのところ、それぞれ400円・500円の特別価格で提供させていただきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ルソン島の La union 州の Bauangという町(南のダグパンや山地のバギオから車で2時間くらいか)の国道沿いのパブリックマーケットで

毎日夕方5時頃から8時台に完売となるまで営業している。近くまでいらしたときは お立ち寄り願いたい。つけ麺の方は土日のみだが、平日にも注文があることから、30分待ってもらえればスープを沸かして提供できる体制にした(ただし麺を売っている店が7時頃の閉店なのでそれ以前の注文に限る)。

 

 

以上のように、フィリピンで結構ガッツリめに働き、円とは程遠い生活を一年以上送っている。フィリピンという沼にどっぷりと浸かってしまっているわけだ。日本で新札の発行がされるのかされたのかもよくわからないし、今年が令和何年かなんて三〜六年のあいだに収まっているだろう、くらいしか見当がつかない。こんなことで日本に帰って何かできるのだろうか?

「ガッツリめに」とはあるが現地肉体労働者は400ペソくらいは日給を得ており、それとくらべるとチンケな収入である。日本で働いていた頃の収入と比べると30分の1ほどしかない。皆さん手元に紙があれば直線を引いて、その両端に0と30を書き込んだあと、1に相当する位置に印をつけてほしい。「フィリピンで働く」というのは限りなく0=「働かない」に近い。それが2倍の2になったところでさして変わりは無い。「フィリピンで働く」というのは、自分ながら とても正気の沙汰とは思えず、今はただ、フィリピンにて働いているという、あり得ない状況を楽しんでいるという状況だ。