「これがフィリピンビジネスだよ!」

今週のお題「自由研究」


今回・次回と、私のフィリピン研究として、私の友人を通してフィリピンの文化・行動様式を見つめたいと思います。
私は毎日ノートに日記をつけているのですが、人の名前を記載するときは年齢・性別に関わらず「○○氏」と記します。空々しいことではあると思うのですが、敬意そして一定の距離感を自分に刻むためです。
その中で唯一、単に「氏」と書き記されているのが、今回登場するフィリピン人男性です。人懐っこく、行き当たりばったりで、お金とおいしいものに目がなく、嘘つきで、誠意が微塵も無く、それでいてどこか憎めない。まさにフィリピン人の特徴を全て表したような人物だからです。フィリピンに居られる方は、そうそう!と思われるでしょうし、日本にお住まいの方は、そんな人たちがこれから日本にたくさんやってくるのか、と見て頂ければ幸いです。

 







しばらく前になるが、メトロマニラから現在の町に居を転じることになったきっかけとなったフィリピン人男性(現在46歳、日本で働いたことがあり、日本語で大体の日常会話はできる)から借金のお願いがあった。
国道沿いで野菜と果物のショップを、自身がボスとなって開くらしい。それにあたって、電気の工事だか申請だかの支払いの分だけ足りないという。
額面は3000ペソ、返済期日は10日後くらいだったと思う。ひとつ山側の町に貸家を持っていて、確実に入金があるからとのことだった。ATMカードを取り出してみせていたが、小道具のひとつに過ぎず、ますます胡散臭い印象を抱かせた。
ビジネスの詳細や返済の見込みなど詳しく訊いてもよかったが、どうせ曖昧な答えか、テキトーな嘘しか返ってこないのが今までだったので、それ以上ほじくって訊くのはやめることにした。
私に現在の町を紹介してくれた恩というのも動かすことはできず、まぁ、返せなかったら野菜でも時々貰ってくればいいかと引き受けた。

支払い日に来るのかと訊いたら、取りに来てとのこと。金を得られるのならどこへでも足を延ばすが、一旦手の内に収まれば、そうしたマメさは無くなるようだ。非常にわかりやすい。
私もそれほどヒマでもないので、指定の日に取りに行けるかわからない、Keepだよ、わかる? と念を押して別れた。

以前もこの人物からの回収に苦労し、結局フライパンと釜などを差し押さえて完了とした経緯がある。それまで半業務用の大きなフライパンと釜しかなかったので、自分の家(畑の方)で使うのに丁度よかったし、今も重宝している。

しかし金銭面でルーズということは、計画全般がルーズということである。そんな彼が、個人商店の社長になって うまく店舗運営を続けていくことができるだろうか。

多少気懸かりになっていたものの、開店日を過ぎると、氏のSNSには新鮮な高原野菜や、お祝いに駆けつけた友人らと併設のレストランで食事をする様子がアップされ、まぁ当面は大丈夫のようだった。

 


彼の直近の経歴は、町役場の防災・レスキューの課のチーフ。課員から彼の評を訊いたところ、リーダーシップはあるものの、やや気分屋的なところがあり、時々高圧的に怒られたという。私も、彼が数人の課員を集めて叱責していたのを見たことがある。
2年ほどその職に就いていたと思うが上司が政争に負けたのか(親類や知人のコネクションでの就職はフィリピンあるある)、それとも上司と反りが合わなかったのか辞めてしまったようだった。

氏は少なくとも表面的には人当たりがよくて やたらと顔が広く、そして謎のカリスマ性を備えているように私からは見えた。
町役場をお役御免となってからは、友人所有の空き家となっている家に、傷んだところを修繕するからと言って無料で住まわせてもらったり、浜の近くの土地を一年契約で安く借りて小屋もどきを建てて住んだり(氏は日本では現場仕事をしていた)、おそらく知人の紹介でであろう、リゾート建設の現場監督になって工事完了となるまでそこの部屋に住んだりなどと その他、何人もの友人の世話になって、小学校高学年になる息子とともに居を転々としてきた。
現在の住居は、併設のレストラン(というかメインはそちらで、野菜店の方がオマケなのだが)の調理場の2階であり、野菜店と併せて3500ペソで借りているという。
ひとつ前は、国道沿いにある広めの空手道場 兼 某世界宗教の会館の隅に住まわせてもらっており、彼は若い頃に空手もやっていたそうで、その道場の師範とも交友があるのだろう、食費はわからないが、住居費は無料か格安だのはずだ。時々、若者が何人か来て、彼らにトレーニングの指導をしていたようだ。そして半年ほどの間だが、その会館の国道に面した所で、他2人のビジネスパートナーと野菜店を開いていたらしい。平日は3000ペソ、土日は7000ペソの売上があったという。

 


なかなか訪問する都合がつかず、開店から3ヶ月ほど経ったころ、氏から私の元へメッセージが届いた。

Masa, yasai no gomi ippai」。

あぁ、やっぱりダメだったか…。

翌日、私はジープに乗って15分ほどの、国道沿いにある氏の店を訪れた。
表には新鮮な野菜や果物が並んでいるものの、壁一枚隔てた裏側には、大きな袋2ついっぱいに古くなった人参・じゃが芋・キャベツなどが詰め込まれていた…。

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氏は少し久々となる再会に、レストランのラーメンを一杯奢ってくれ、私が食べている間に細かい仕事を片付けているようだった。
「貸家の入金」の件は一切出てこず、こちらから尋ねてくだらないウソを聞くこともないので放っておいた。


フィリピンの食べ物というのには、私はあまり期待しておらず、今回のラーメンも、お金を払いたいレベルではなかった。砂糖と塩の比率が逆になっているとしか思えない甘い味付け。そこら辺の簡易食堂じゃあるまいし茹で置き麺なのか、それとも茹で足りていないのか、中がふっくらしていないボソボソのもの。牛肉の欠片が入っているくらいしか見るべきところがない。さらには汚れっぱなしのトレイと机。無茶苦茶である。
食べ物を残すのは、私の信条に反するので、胡椒や赤唐辛子をかけてなんとか食べきった。

食べ終わった机をそのまま借りて、氏の話を聞くことに。
もちろん私は経営のプロというわけではなく、ネット上の飲食店開業の際の注意点などを多少読み込んでいる、といった程度に過ぎない。しかしそれでも「日本の義務教育を中程度の成績で修了した」者*1として、氏に助言できることは多いはずだ。というか、「はずだった」。
いかなるビジネスもそのスタートとそのレベルを維持していくことが肝心で、一度離れた顧客を取り戻すのは、かなり難しい。来るのが遅すぎたか、と悔やんだ。

ラーメンがかなり残念な味だったというのを氏に話したあと、机にノートを広げ、さぁ彼の店の何から訊こうか、確かめようか、としたときに、氏は私の右手からペンを取り、ノートも引き寄せて、グラフのようなものを描き出した。
このレストランの話を始めるらしい。

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営業は2021年の1月から。それを半月ごとに区切ったようだ。初めの半月は平均して25000ペソ/日の売上げ。絶好調だ。これならウハウハである。
それが次第に10000ペソ/日、8000ペソ/日。直近では4000ペソ/日にまで落ちてしまったらしい、とのこと。雇用していた人も8人から5人にカットされたという。1人250ペソを支払っているということなので、1250ペソは何もしなくとも一日に出ていく。

ここのレストランのオーナーは、かなりの金持ちで、闘鶏のギャンブルの元締めだという。交友関係も広いらしい。初めのうちの好売上げというのは、そうした関係者によるいわゆるご祝儀相場というやつだろう。近くに住んでいるわけでもない友人が、毎日足を運んでくれるというわけではない。それらの潮が引いてからが本当の売上げである。こんなことは初歩中の初歩だ。

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レストランを営業する上で大事なことはなんだと思うか氏に訊いてみた。写真の、折ったところで隠れてしまっているが、氏はクオリティ・プライス・サービスと書いてくれた。それに私は、一番大事なこととして、ロケーションというのを書き加えた。あとは国道沿いなのでパーキングとタイム。駐車場は問題なく、開店時間の方も夜遅くまで煌々とライトアップされており問題ない。ロケーションも、賑わいのある町と隣の市の中間点で地元の人口は少ないかもしれないが、車で移動している金持ち達の目には留まるわけで問題ないだろう。
というわけで焦点は氏の挙げてくれた3つである。結局、プライスに対して、相応の味とサービスを提供しているか、ということだ。
味については、私はわからない。フィリピン人は甘いものが好きなので、ああした甘い味が好まれるのかもしれない。しかし氏もおいしくない、と言っていた。
価格設定は70〜100ペソで、簡易食堂の倍は取っている。もし味が大したことないというのなら、利用者にとってここは、「値段は少し高いが、国道沿いで駐車場とトイレが有り(簡易食堂にはいずれも無い)、遅い時間まで開店していて大きな机もあるから」ということで入ってきているに過ぎない。トイレは掃除をしないので汚れっぱなし、水も時々流れないのでそれのメリットはだんだん小さくなっていく。プラ机も表面に凹凸のあるデザインで拭きにくく、凹部に汚れが溜まっていく。これを汚いと思った客は去っていくだろう。プラ机とお揃いのプラ椅子も、凝ったデザインが裏目に出て、背もたれが次々に根元から折れているようだ。
後日、レストランの調理場を氏と見る機会があったのだが、朝と昼の営業を辞めたせいか、ご飯やスープなどが、傷んでいたりした。無論、そうしたものを提供するわけはないと思うが、お客の回転が悪くなると、下準備したものを置いておくという時間が長くなり、鮮度の悪いものがお客の口に入らないとも限らない。働いている人は、鮮度のチェックに注力したところで、別に自分の評価や給料が上がるわけでもないので、日本のように士気が高くないのだから、手抜きは往々に発生する。
もちろんそうした、おかしなニオイのするもの(例えば古くなった刻みネギとか)が供されたなら、次回からの利用はしてもらえないだろう。お客の減りのスパイラルである。 


レストランの現状を一通り話してくれた氏は、本題の自身のショップについてもグラフを描いてくれた。

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…やはり同氏の店も、レストランと同じように下降の一途を辿っていた。先にレストランのグラフを描いたのは、私の精神的ショックを少しでも和らげようという意図だったのだろう。
棒グラフのように見えるそれは、初めの1か月は2500ペソ近くの売上げ、次の月は1500ペソちょっと、その次は700ペソくらいが日商の平均だと示している。
私はノートに、新鮮さ、価格、サービス、ロケーションと時間といった、レストランと似たようなことを書き並べた。
なぜ、売上げが落ちてきているのか。上の項目について、氏にどう思うか順に訊いていった。特段の落ち度はなかったものの、後日ショップに通うにつれ、価格が近隣店舗よりやや割高なこと、お釣りが用意できておらず客を長く待たせる場面がしばしばあること(時には後日の渡し(!))、高原野菜はこの店のスペシャリティで人気も高いが 鮮度保持が暑さで難しく廃棄ロスが多発していること、などがわかってきた。
鮮度の件に関しては、氏もこの時点で認識しており、傷みの早い人参や葉物を控えて、長持ちして人気もあるリンゴやミカンの割合を増やしたいとの意向だった。

あまり収穫のないまま、基本的な聞き取りを終え、次に私は説明が必要だなと思っていた損益分岐点について話をすることにした。英語だとBreak-even pointとなるようだ。
グラフを描いて(写真左側)、通常なら店を始めると(品質やサービスが一定以上あれば)みんなが店の前を通るのだから徐々にお客が付き、利益が出るようになる。品質などが悪いとその伸びは鈍い、として上に角度のある直線や、逆に角度のついていない直線を描いた。その後は、近隣の人口は一定なのだから、あるレベルでの保持が続くだろう、水平のラインを引いた。そして固定費、氏の場合は家賃や電気代などだろうか、それがかかってくるので、利益がそれを突破できるか、まさに「Break-even」の説明をできるだけ噛み砕いて話した。

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果たして氏の利益はその分岐点より下なのか上なのか。
下回っているというのなら、至急何らかの対策を打たないと商売が頓挫してしまう。私の貸したお金も焦げ付いてしまうということだ。
台帳はあるものの、日付とお客ごとの売上品目と売上価格だけであり、その日の合算すらされていない。これでは、売上がどのような推移を辿っているかわからないし、利益がどの程度出ているかもわからない。
氏はまたも私からペンを取ると野菜の仕入れ値と売り値を20行近くに渡って列記し始めた。確かに仕入れた分を全て売り切れば、その差額が手に入る。氏はその利益を強調するだけで、その間の仕損分や仕入れにかかる経費(隣りの市までジープで買い付けに行くが帰りはトライセクルであり、かなり高い)などへの言及はない。儲かる側面だけみて、他のコストのことは頭に無いようだった。

私は野菜を1キロ売ったらどれだけの儲けが出るのかを聞きに来たのではないので話を変えようとした。
なぜ、以前の店での売上げに遠く及ばないのか。氏はそれを、以前の場所は、道の向かいに大きなDIY店があり、そこの従業員がたくさん買っていったとのこと。しかし同じ国道沿いでそんなに差があるのだろうかと訊くと、ここは近所の人口が少ないからとの答え。以前の店も周りは田んぼだったはずだが。氏の言い分がどれだけ正しいのかはわからなかった。


損益分岐点を下回っているなら、やり方を変えないと駄目だよ、と私が言うので、氏は最近考えたというシオマイのビジネスを披露してくれた(写真右側)。
3ヶで20ペソで売ることを考えているようだ。仕入れの1パックは50ヶ入だというので、それを3で割れば何セットできるかはすぐにわかると思うのだが、氏のやり方は違った。
3という数字を10ヶ羅列する。氏は何かを確かめ、それに1を足して11個並んだところで11セットできあがる。1セット20ペソなのだから11セットでは220ペソとなり、これは50ヶ入の仕入れ値と一緒なのだという。なので残りのセットを売れば、それがそのまま儲けになるとのことだった。
50割る3は、「16あまり2」なので16セットから氏の言う11セットを引くと5セット。それの売上分100ペソが利益となる。しかし、氏の出した結論はどこで最後の計算を間違えたのか₱140profit/packとなってしまっている…。

写真の左下を見てほしい。見えにくいが、鉛筆で「2」や「5」が6つ並んでいる。これは別の日に、「掛け算のかなり怪しい小学6年生の子」に2個で5ペソのパンを6セット作って今日は売るんだー、と言ったが総売上がいくつになるのと訊かれたので書いたものだ。意図したわけではないが、氏とのやりとりと同じページに書かれている。その子への説明の中にやはり氏が記したと同じような「同一の数字の羅列」というのが出てきている。私が何を言いたいかわかるだろうか。私が子供に平易にわかるように書いてあげたのと同じようなレベルに、氏が立っているということなのである。

掛け算・割り算を使えない小学生が、何かのビジネスを運営していくことができるだろうか。――答えは明白だった。

 

シオマイを3ヶ20ペソで売るというのは、どこにでもよくある価格設定である。氏にその点を指摘し、あなたがシオマイのビジネスをやる強み、スペシャリティを問うた。
なんでも、隣りの市で普通よりちょっと大きなシオマイが売られているのを見かけたのだという。それだけか…、と脱力。もちろん普通の冷凍食品である。
私は氏に、電気式のスチーマーを初期投資として買い、醤油やラー油、さらにはカラマンシーや紙皿といったものも揃えないといけない、いったい何ヶ月でペイさせるつもりなのか、と畳み掛けた。ここでも氏は、上辺の利益のことだけしか考えていなかったのだ。
 
私たちは、シオマイ・ビジネスの夢が萎んだところで再び、併設のレストランの話などをしていた。私がその難点を挙げ続けていたのだろうか、氏は私を手で遮ると、一呼吸おいて、既に様々な数値やキーワードが書かれたノートを力強く指し、こう言った。


「フィリピンビジネスだよ!」


開き直りとも取られかねないその発言は、私にこの話を続ける意欲を挫かせるには充分の打開力を有したものだった。
ただ単に勢いが勝(まさ)ったのかもしれないが、文頭の「これが」を省くことで、自分の状況だけに限定せず、ここはフィリピンだ、これが俺達のどうしようもないやり方なんだ、との宣誓の気質さえ帯びてきている。

今年聞いた言葉で一番重いものになるのは間違いない。


 

今はお金が少なく、台に並んでいるリンゴが全部売れたら返すと言われ、返済に関しての展望は開けなかった。

私は氏の住居部に一泊して、その翌朝、カレーを作るには充分すぎる量の萎びた野菜を回収して帰路に就いた。
氏の「フィリピンビジネス」を当分の間 サポートしなければならないのか、という思いとともに。 

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*1:フィリピンでは特に数学は、中学校を卒業しても日本でいう小学校の低学年〜中学年程度、高校を卒業しても中学校程度か多くはそれ未満