南国フィリピン、6年越しのボンバイ(金貸し)とその取り立ての顛末


「取り立てしなきゃ」。

 

と、今回も 特別お題を瞬殺して本文へ…

 

 


 

 

フィリピンで暮らすにあたって、一番大事なものは何か。それはやはり「お金」であろう。お金が無ければ、どうにもならないし、お金があれば大抵のことはなんとかなる。とはいうものの、無かったら無かったでなんとかなってしまうのがここフィリピンの面白さである。

去る2022年10月21日、円が1ドル=150円まで暴落したことがあった(今も安値傾向だけどね)。生活費の工面すら苦労していた私(今も苦労しているけどね)は久々に通い始めたピソネット(12ペソ/h)で連日ヤフーのニュースに取り上げられているそれを見て、今 SRRV(特別退職者居住ビザ)を解約して預け金のドルを円に戻せば…、と俄に浮足立った。

つけている日記を遡ると5万ドルちょいを預けたのは1ドルが104円の時であり、それを1ドル=150円の今 円に替えると、なんと200万円もの大金が元金に上乗せされる…。

フィリピンで6年暮らしているうちに200万円も増えてしまった(日本では電気・燃料を始めとして物価高に見舞われているという話なので、実質的にはそこまでの増分はないか)、ということになる。

ビザ解約の手続きを、コロナ禍の最中に問い合わせていたな、思い出し、その返信メールを探し出すと、30営業日ほどかかると記されている。1ヶ月の間にこの不安定な為替相場はどうなるか。5円違うと5万ドルでは25万円の差になる。

増えた200万円を再びペソに替えれば、ウヒヒ…、と思っていたのだが、よく考えたら、「本体」の500万円余りの方も日銀先生のお陰で価値が弱くなっており、総額700万円のピソ分の価値というのは、あまり変わらない(それでもいくらかはペソは増える)ということに思い至った。

ビザキャンセルの一番のネックとなったのは、発給要件が変わって引き上げられた申請可能年齢の50歳で再びSRRVを取得するまで、仕事をするとそれが完全に不法就労になってしまうことだ。

今現在もSRRVの「AEP(外国人就労許可証)を取得すれば働くことができます」というところのAEPを取っていないのだから法令遵守となっていない。法律違反に「ちょっと」も「完全に」もないのだが 、悪い線は消しておきたい。

また、申請費1400ドル(20万円弱)が再びかかるのやフィリピンと日本の警察署で犯罪経歴証明書などの書類を揃えるのも面倒臭い。

いずれにしろ200万円の儲けというのは、ずっと以前に円から外資に変えておいた資金を円安となった今、円に替え、次に円高になったときに外貨に替えた時に初めて発生するのであり、私のような小金持ちには分不相応な話、悠長に構えていられる富裕層が、ということのようである(「さんすう」がネガテなのでここ数行が正しいかは各自で確かめてください)

私が円安の恩恵に浴する日は来るのか…



 


 

 

さて、私がフィリピーナに現地の価値に換算してかなりの額を貸して、その回収が難航している、というのは以前に触れたとおりなのだが、最近なってその件に進展が見られた。

また話が遠回りしてしまうが、昨年11月、というかそれまで数カ月に渡ってプラザ(各市町の大教会の向かいにある広場)内にある市の観光課の小さなオフィスの軒下で野営をしていた(未明の市場の外周で、トラックなどを使って開かれる朝市を利用するとキャベツなどが割安で買えるため、ずっと朝帰りをしていた。他の青少年やホームレスは夜9時ごろに市職員のガードマンが来て追い払われるのに、なぜか私だけは おめこぼし。いったいなぜなのか。)ところ、未明に目覚めるとオフィスの外壁と背中に挟んで寝たはずのリュックの感触がない…。ガバッと身を起こすと、やはり影も形も無くなっている…。やられた、と別世界に放り込まれた感覚に襲われる。財布、スマホ、仕事用のノート、USBメモリ、と大事なものが全て入っており非常にまずい状況である。小走りで周辺のゴミ箱などを見て回ったがあるはずもない。広場の真ん中で髭ぼうぼうで悪い目つきのホームレス氏が使い込まれたリュックを抱えてしゃがんでいる。不躾とは思いながら、そうも言っておられず、私のリュックが盗まれたので中を見せてくれないか、と言ってみるも拒まれる。まぁ物を盗んでまだすぐ近くに留まっているというのは不自然で犯人とは違うだろう。
どの方向へ持ち去ったのかも分からず、当然私一人の手に終えるわけがなく、プラザすぐ隣りのポリスステーションに駆け込むことに。当番の婦警氏に事を話すとCCTV(防犯カメラ)が向かいの町役場にあるということで、8時になるのを待って伺ってみた。その一室には大きな2枚のモニターに40台くらいのカメラの映像がリアルタイムで映されていた。プラザ内外にも数台が設置されており、職員と一緒に早送りで見ていく。1時間ほどすると監視室のチーフのような人物が来て、被害届がないと入室は駄目だとのことで追い払われる…。警察署へ戻るが被害届はIDがないと書けないとのこと。そのIDも盗まれているわけだが、パスポートなら自宅にあるのでと、明日出直すことに。所持金はゼロであり、朝の婦警氏から80ペソを借りキャベツなどの材料費に充てる。時々売上げが極端に悪い日があり、今日がその日だったらどうしよう、となるも なんとか完売。次の日はお好み焼きのトマトソースを作らればならなく、再びポリスステーションに出向いたのはその次の日。
婦警氏に礼を言って返済。別の若い警官にポリスレポートを作ってもらう。役場のCCTVにプラザが映っている、行ってほしいと言うも、別の事件か病院に行かなければならないとのこと。


ポリスレポートを持って再び監視室を訪ねる。
カメラのひとつがかなり遠いながらも、私の寝に入る様子を捉えていた。それから1時間ほどした深夜12時前。オフィスの脇を、寝ている私の傍を3往復する怪しげな人影…。そしてその後、カメラのある方向に何かを前に抱え、後ろを気にしながら去っていくのが映っている。犯人やないすか…。 別のカメラでは、河原しかないはずの南の橋の下から男が来て、国道を跨いで西へ帰っていくのが映っていた。
ポリスステーションへ戻り、映っていた、捜査してくれと言うも、受理の警官は不在とのこと…。いや、あんたが行けばいいやんか。
市の職員は危ないから行くなよと念を押されていたが、スマホなんかはすぐにでも売り飛ばされてしまうだろうと南西にある集落と河原を捜索することに。プラザから2分ほど歩くと集落手前のジャンクショップの前の道路に、見覚えのあるものが落ちている。私の日記帳だ。仕事用のノートも側溝に浮いており、USBメモリやカッターなどの入った道具袋もそのドブ川に浸かっている…。ぐぬぬである。
USBメモリはキャップがついていたお陰で中身は無事だったが、6年愛用していた日本製シャープペンシルは見当たらず。もちろん犯人の方は家があるのか無いのかもわからず、どうもやりようがない。カメラ・時計・ライトを含んでいたスマホの喪失が痛いが、仕事用ノートが回収できたのは不幸中の幸いだ。

 

 


 

 

なぜこの盗難の話が、今回のウータン(借金)回収の表題の中に入っているか。被害届(ポリスリポート)を作る際に、その前に少し離れた別の建物にある遺失物課みたいな所へ行って書類を作ってこいとのことで、そちらに向かった。待っている間に、建物内の案内プレートなどを見ていると、ここはどうやら裁判所であるようだった。
警察署でのやり取りの過程で、私のパスポートもIDも有効期限が切れていることが明らかとなったが、特段のお咎めも措置も無いようだったので、法を司る裁判所においても、借金の未返済があり、そのために不法滞在の状況にある、とすれば、悪いようにはならないだろうと見込んで、書類作成を終えたあと、少し勇気を出して、知人2人にウータン未返済があるのですが…、と相談してみた。すぐに若き弁護士が来て、呼出状を作ってくれた。全て無料だという。返済を迫るか、投獄がいいかと訊かれたが、牢屋に入れても私は一銭の得もしないので、返済の方を選んだ。

最近5年の間、本当に1ペソたりとも返していない主犯のピーナ氏は、バランガイ(村にあたる行政の最小単位)よりさらに上の地方裁に話が行ったのに恐れをなしたのか、珍しくナイトマーケットに来て、来週から毎週250ペソを支払う、だから召集の日には行かないでいいでしょ、と言ってきた。
一旦は了承したものの、またもあちらのペースで事が運ぶのは良くないと考え、支払いの当日、もう公(オフィシャル)になっているんだから、同意書も作らないといけないし、行かないとダメだよ、と断った。紙幣も見せられたが、情状酌量の余地が生じてはいけないので、受け取らずに、裁定が下って、きちんと取り決めができたあとに貰うことにした。
そしてその数日後。指定の日時に裁判所の建物に出向いた。しかし、被告人2名は居るものの、肝心の弁護士氏の姿が見えず。ピーナ氏に電話がかかってきて隣の市に出張に行っているとのこと…。マジかよ。結局、毎月1500ペソを支払うという話で妥結。同意書などは何もなく、またも口約束となった。
まぁそれでも、バランガイを通して呼出状が行ったことで借金トラブルを抱えていることが近所中に知れただろうから(主犯のピーナ氏は、自身に借金は無く私のことをクレイジーだと近所に言い触らしていたらしい)、打撃としては十分だ。金額についても反論がなかったということで、全額を私の言っているもので相違なし、と認めたに等しい。

かくして12月から返済が始まった。主犯のピーナ氏は、週250ペソでは月1000ペソほどにしかならないため、週350ペソにしてもらった。しかし僅か3週目から返済が滞り始めた。働いている食堂がお客さんが少なくて休業となり収入が途絶えた、とのこと。市場近くのそこへ見に行くと確かに閉店となっている。商売の頓挫はフィリピンあるあるで、そんなことを理由に返済がなくなったのでは こちらとしては堪らない。親戚からでもボンバイからでもお金を借りてきて、と圧力をかけ続けた。
1月に入って別の仕事を見つけたようなことを言っていたが、それもこれまたよくある病気をして仕事ができない、といった理由で支払いをしない。3週間分が滞ったところで、返済をしないのであればBJMP拘置所。フィリピンには刑務・懲役というものは無いので「刑務所」は存在しない。ただ収監されているだけ。家族との面会はかなり自由。)に入れる話を裁判所に再び行って進めるぞ、とのメッセージを送った。
すると「BJMPに入るのは怖くない」、「お前が不法滞在で違法に働いているのを告発するぞ」などの返信。
これに対し私は、「警察は私の不法滞在を捜査・追及しないようだ、役場の職員もナイトマーケットの店員らも私がなぜ働いているかを知っている」、言い触らしに来てもアンタが恥をかくだけだぞ、と含ませて返した。
ハッタリも尽きたとみえ、「どうして私たちを脅かすようなことをするのか」など。私は事実と法律に基づいて話をしているだけで、それに怯えるのはそちらの勝手である。5、6年も不誠実な態度を貫いておいて なんなのだろうか。

その数日後の2月中旬、私は債務者2人に呼び出され、プラザに向かった。私の貸している10分の1以下の金額でヒットマンが雇えるのであり、そういった点は想定しなくともよいのだろうか。
話し合いをしようとのことだったので、次はどんな「言い訳」を使ってくるのかと思っていたのだが、すんなりと主犯のピーナ氏から1000ペソ、従犯のおばちゃんからは1500ペソを得ることができた。
2人には、私はお金が欲しいのではない、日本に帰りたいのだ、1000ペソずつでは今夏までにチケット代が貯まらず意味が無いから、遅延したり、減額したりしないよう、と言い渡した。おばちゃんの方には、市の助役をしていた夫の寡婦年金で毎月5000ペソ入ってくると言ったから貸したのだぞ、と釘を差した。それが違うのなら詐取であり、BJMP入りの補強になる。
2人は毎月25日ごろにここで支払う、とのこと。何日でもいいが月末までに支払いがないと、翌月1日に裁判所へ行くぞ、として別れた。

 

 

 

 

以上のように、一日分の売上げ320ペソの入った財布、500ペソで買ったスマホ、8Gのメモリは300ペソくらいか?、ATMカード再発行手数料150ペソ と引き換えに、毎月2500〜3000ペソの返済の約束を取り付けたわけだ。

なぜ今まで、借金の件で警察署を訪ねたり、裁判所を探したりしなかったかというと、警察署の方はID更新の怠りを指摘されるのを避けた(最悪 、拘束のおそれがある)、裁判所の方は、「それ民事やないすか、きちんとしたサインも貸借書も公証人の手続きも無しに どう扱うんですか」と撥ねつけられるのが怖くて、というのがその理由である。早かろうが遅かろうが変わりはないはずなのに、それが確定して 残りのフィリピン半生を過ごすのが怖かったのだ。往々にして人の判断というのは不合理である。結果としては、私の訴えがそのとおりに認められ、前回に計算した収入とは別に、少なくとも2500ペソが上乗せされることになった。これでおやつのバナナは3山30ペソを日に買うことができるし、夕食は一杯10ペソの具なしLugaw(夜市の同業者ということで少し安くしてもらっている。生姜味でおいしいが 当方で青ねぎ、ターメリックパウダー、アニス、フルーツ味紅生姜、肉ラー油か茹で卵を足してかなりおいしくなる)からバジェットミール(定食。ライスと野菜料理と少しの肉料理の三点盛り)30ペソ(これも安くしてもらっての値段)にランクアップできる。

あとは この返済が、フィリピン人の最も苦手とする「継続」となるかどうかだが…。