フィリピンの特別退職者居住ビザ、SRRVの現在【3月最新版】

今週のお題「〇〇からの卒業」

日本からの卒業、というわけではないが、私はこの先、一生もう日本に帰らないような気もしてきた。

東南アジアなどで暮らす(困窮)邦人を題材として扱うノンフィクションや書籍やネットコラムの中で時折、「日本を捨てたのだ」とか、いや、「日本に捨てられたのだ」とかというところに焦点が当たることがある。
私は、それはどちらか一方の択一的なものではないと思う。ただ「日本とマッチしなかった」というものが横たわっているだけのように思うのだ。ここでの「日本」という語句は、「日本というシステム一式」とか「日本という文化装置」とかといったものになってくると思う。この辺りはまた稿を改めて書くこともあるだろうか。

フィリピンに来て5年経つ。フィリピンに来て、本当に良かったと思う。少し緩めの行動様式が、失くし物の名人・遅刻の常習犯だった私には合っているのだろう。時々、もし日本に居たら今頃どうしているのだろうか、なんてことを夢想することもあるけれど、どのようにあれ、今の生活に勝るものになっているとは思えない。 

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↑    最近の、ドライカレーの販売と、
                 友人宅での冷やしうどん作りの様子    ↓

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とてもフィリピンの食べ物とは思えないくらいおいしかった
(いや、日本の食べ物か…)

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飽きの来させない大小の事件も起こり、毎日が新鮮である。 目下、「アイデンティティ」を揺るがす事態の渦中に居るわけだが――。

 





昨年10月に、大量の若い中国人がSRRV(特別退職者居住ビザ)を取得してフィリピン国内に入ってきており(SRRV保持者の約⅓が中国人)国家の安全保障上問題がある、とPRA(フィリピン退職者庁)は指摘され、現在のポリシー、つまり年齢や預託金といった要件を見直すよう勧告を受けた。ポリシーが定まるまでSRRVの新規申請は一時休止となったようで、現在もそれは続いている(これに関するニュースはこちらから)。
新たな若い中国人の流入はひとまずこれで防げるわけだが、既存のSRRVホルダーの処遇に関しては、監視プログラムの策定を、と提言があったのを受けてか、11月初めに、現住所・連絡先・この国に来た目的などを訊ねるEメールが全SRRVホルダーに届いたのだが、その他に具体的な「監視」の動きはみられない。
以前の記事の中でも、この「監視」をどのようにするか、そのコストも含めてかなり難しい舵取りを求められるのでは、と書き綴ったわけだが、注意を要する外国人の「監視」よりも、それを「排除」する方が長期的に見て手間もコストもかからないし、国家安全保障といったことを目的とするならば、より「確実性が高い」。

要注意外国人の排除に向けてのシナリオは2つある。その一部は既に現実のものとなりつつあるので「筋書き」ではなく「筋道」か。
ひとつは今年2月からの、入国の際はフィリピンの所轄の政府機関から入国許可証を貰っておく必要があるという発令だ。これはSRRVに限った措置ではなく、コロナのため多岐にわたるビザについても同様なのだが、SRRVについてはまずPRAか観光省から推薦を受けて、というのがさらに付加されている。現在の状況の下、「若い」「中国人」をどうぞどうぞと言って自由に通過させるとはとても思えない。さりとて正規の、しかも高額な預託金の要る特別ビザを持った者を、門前払いするわけにもいかない。きっと「推薦の申請が殺到していて手続きに時間が…」なーんて言って、諦めるまで待たせるのだろう。SRRVのIDカードの更新やビザのキャンセルも半年以上放ったらかしにしているので、これくらいは何でもない。これでSRRVホルダーを狙い撃ちにして、フィリピンから出るのは簡単だが、再入国はちょっと…、という状況を実現することができる。

もうひとつのシナリオの方は、より根源的だ。
ID更新やキャンセルの問い合わせを含むメールの返信が滞りがちだというのは昨年の春〜夏からの話で、もしそのとおりだとすると、この夏に、期限切れのIDカードを持った(追い出したい)SRRVホルダーが全て*1「出揃う」ことになる。

ある朝早く、玄関のドアがノックされ、出てみると数人の武装警官。
「不法滞在の疑いがあるとの情報が寄せられている。ちょっとIDを見せてもらえるか」
当然 期限切れのものしか提示できない。かくかくしかじか、こういった理由で と事情を説明するも 抗弁虚しく、
「言い訳は署の方で聞く」
として拘束・連行――。
なんならオプションで、家主の居なくなったその部屋を家宅捜索して「きれいに印刷された」給与明細を押収、不法就労で検挙することもできる。でっち上げは それこそフィリピン警察の十八番なのでそのくらいは容易いことだ。

 

いずれの方法も、本来ならばいつかの時点でビザのキャンセル、つまり預託金の返還が必要である。
PRAはコロナ禍の発生を予見しては いなかったはずで、すなわち欧米人の大量のキャンセルは想定されておらず、DBP(フィリピン開発銀行)のPRAの口座内の巨額の外資は、どこかへ長期的に投資しているのでは、と私は考える*2
返還準備金不足のPRA(※個人の見解です)と中国人を追い出したい政治家の利害がここで完全に一致するのだ。PRAのすることといえば全SRRVホルダーの名簿から、「該当する者」を抽出して政府を通じてフィリピン警察に送るだけだ。
前述の「オプション」の方をチョイスして、犯罪者に返す金なんて ねぇよ、とすれば 送還費用を差し引いて、預託金がほぼまるまる残ることになる(フィリピン警察から人件費分の請求書が届くかもしれないけどね)。
まぁ 預託金を丸儲け、というのは話を膨らませ過ぎかもしれないが、払い戻しの期日を大幅に遅らせることができるのは確実だ。

今回の一件でいちばん割りを食っているのは、純然に保養と観光を目的としたり、不動産を所有して投資したりしている、フィリピンと自国とを行き来している欧米人のSRRVホルダー達だ。自由な往来を保証するSRRVのメリットが失われ(自宅が破壊・略奪に遭っているのにフィリピンに入国できないという人さえ居るようだ)、さっさとビザをキャンセルして預託金を返還してもらいたいところだが、そうしたキャンセルのメールにも何の音沙汰もないので、PRAのfbのコメント欄は阿鼻叫喚・地獄絵図のようだ。一部の人は怒りを通り越して、皮肉や諦観の色を見せている…。「特別審査付き観光ビザ」だとか(類縁のビザのSIRV(特別投資家居住ビザ)は入国許可書の前の推薦は不要で、必要とされているのはSRRVと一番格下の観光ビザだけ)、PRAは観光省の操り人形だとか、政治家の票集め(嫌中国)アピールのためにSRRVが標的になっているとか…。

 


今回いろいろ書き連ねてきたが、こうしたことも対岸の火事ではない。私も「若年者」の部類に入っているわけで、機関の匙加減ひとつで排除の対象となりうる。

万一、当ブログの更新が途絶えたときには、「あぁかわいそうに、とうとう当局に拘束されたのか」と思って頂いて構わない。

 

 

*1:通常は一年更新、三年期限のものの申請可

*2:fb内でマーケッター(※ビザ申請代理店)に頼んでみたら返却されるよ とあったのは、マーケッターの方が一個人より発言力が強いために優先的に返金されているのではないか

「日本に帰れない」から「日本に帰らない」へ

お題「#この1年の変化」

 

昨年の3月17日に、軍の動員もかけての物々しいロックダウンが始まり、それから一年になろうとしている。
いつくかのサリサリストアには、夜間の外出や飲酒や集会の禁止、それに違反・抵抗した者は拘束・科料する、という掲示がなされ、戒厳令とはこうしたものかと震え上がったものだが、フィリピンの熱しやすく冷めやすいといった気質によるものか、何の号令も無しに徐々に緩くなり、現在はほどほどのところに落ち着いている。
市場へ入るための通行証(Pass slip)も初めの頃は、連番管理されて各村への割当枠があったのか、村役場へそれを取りに行くと今日も市場へ行くの? と訊かれたりしていたが、近頃はシリアルナンバーの所も空欄で、日を空けずにPass slipを貰いに行っても何も言われることは無い。
まぁそれでも、学校はまだ閉鎖のまま(10月に再開のはずが、変異株の発生でお流れに)、子供と高齢者は市場への入場不可、全ての市民は他市の市場への入場不可、葬送は小規模なものに、県境を跨ぐ移動は陰性証明書が必要、といったような少なからぬ影響が続いている。

市場へのアクセスが悪くなったことで、沿道のあちこちには露店(Talipapa)が開かれ、民家はサリサリに、サリサリは野菜商に、それぞれ「昇格」して乱立している。
日本と同様、飲食店が一番に槍玉に挙げられ、閉店の憂き目に遭ったが、ナイトマーケット(夕方から市場の外周で開かれる主に持ち帰りの飲食店)も禁止になったことで、民家から張り出してきたような路傍の飲食店も増加。
こうした光景を見て、20年くらい時間が巻き戻ったみたいだ、と思ったが、よく考えてみると「20年前のフィリピン」なんて私は知らないのだから、その辺りがどうなのかはよくわからない。ただ、以前より ゆっくりと時間が流れているというふうには感じる。
ビデオケ(出張・貸出のカラオケ機材一式)なんかも夜9時頃まで酷い歌声が響き渡っていることがしばしばだったが、今ではそれを耳にするのは めっきり少なくなった。

 


 

さて、現在はコロナ禍のもと、日比間の往来は難しくなっている。可能ではあるのだが、いくつもの手続き・書類が必須であり、移動にかかる経費も増している(首都圏までバスで400ペソだったものが個人でタクシーを使って3000ペソかかるという話だ)
そもそも私はSRRV(特別退職者居住ビザ)が昨年10月に期限が切れ、パスポートの方も今年1月で有効年月日を満了してしまっているので、それをまず正常化しないことには何の手続きもできない。
というかこれは紛れもない不法滞在であると思うのだが(注;いま調べたところ、パスポートの方は期限が切れても特に罰則は無いよう)違法だからといって邦人が拘束されたとか、日本に送還されたとかという話は聞かない。それだったら「困窮邦人」という括りは発生しないものな。
ちなみにビザ切れの場合は500ペソ/月のペナルティ(2018年当時)。昨年9月にID 更新をしたいのだがというメールをPRA(SRRVを管轄している機関)に送っている私は、PRAの都合でビザ切れの状態に置かれているわけで、それでもペナルティの支払いはしないといけないのだろうか?
ともあれ、この状態で暮らしていても誰にも咎められないということらしい。日本に於いては、時々「強制送還」のニュースを聞いた気もするが、金の無い外国人を追い払うだけの財政的ゆとりの有無の差、ということか。

 

コロナとは直接の関係はないが、私は日本に帰るというのがどうも億劫になってきている。首都圏の渋滞のため、バスに6時間くらい毎回缶詰めになり、格安航空会社を利用しているせいで真夜中のおかしな時間に空港に居ないといけない(もっとも、今はコロナの影響で欠航が続いており、かなり割高で正規の航空会社を利用することになるだろう)
日本に帰ってすることといえば、地元で友人に会い、大阪で食品や書籍を買うといったことで、これらも十分魅力的ではあるのだが、スケジュールを組んで、便に送れないように行動するというのが、南国ボケした頭と体では、どうにも面倒に感じてしまうのだ。
以前記したとおり、現在の手持ちで健康面に問題が起こらなければ21ヶ月 日本に帰らず暮らせていけるわけだ。もしもペソが尽きそうになったら、個人経営のパン工場で250ペソ/日で三食・部屋付き、といった所を抑えてあるし、炎天下だが工事現場なら400〜500ペソ貰うことも可能だ。いずれもこの一年、村での生活の比重を少し増やしたお陰での紹介だ。他に、一年目に知り合ったフィリピン人の男性から週に何度か国道沿いの野菜店でバイトをしないか、オファーが来ている。
これらが他の仕事と違うのは、IDカードを要求されない、といった点だ。全くの新規の仕事ではバイオデータ(簡素な履歴書)、IDカードのコピー、ポリスクリアランス(無犯罪証明書)が要り、その時点で問題が出てくる可能性がある。
といっても外国人がAEP(外国人労働許可)無しに働くこと自体が法に適っていないのだけれど、特に地方ではそうした法律はあってないようなものだ。

 

ここ最近は村での売り上げは下降気味ではあるけれど 週2、3回は村へ行き、調理・販売を続けている。夕方の販売が終わると浜にある知人の小屋近くの長椅子か地引網の漁船に置いてある網の上で寝る。今は乾季なので、毎晩が雲ひとつない満天の星空であり、リゾート感満載だ。

翌日は未明から、漁に出たり、漁から戻ったりする船を引っ張る手伝いをする。

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網にかかった少し古くなったり蟹に齧られたりした魚は売り物にならないので、手伝った人数でそれを等分する。

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特に5時頃なんかは手伝う人が少ないので取り分が多くなり狙い目である。こうして毎回片手〜両掌くらいの魚を得る。10秒ほどのアルバイトで魚を50ペソ分くらい貰えるのでおいしいバイトである。


手に入れた魚で 村でカレーを作って売ることもあれば 、

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男の子二人は余程おいしかったということなのだろう、お小遣いの前借りか、それぞれ家に帰ってお金を持ってきて2、3回おかわりしていた。女の子の方は自宅のパンシット(春雨の焼きそば)と引き替えに4回おかわり

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私の昼食の分を残して完売。右上の黄色いのは未熟マンゴーの種。マンゴーは道端で拾える。インドなどでは乾燥・粉末にしたものをカレーに入れる

 

畑に帰って調理することもある。

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後者の方は、畑で野菜がどんどん大きくなるので、食事のたびにその野菜と水や調味料を追加して入れ、2日間くらいは同じメニューでいける。それを食べ切ると市場へ買い出しに行って、また村へ、といういいサイクルができあがってきている。

家賃の方も2000ペソから300ペソへと大幅な削減に成功し、片道の航空費9000ペソLCCの場合)、往復なら60ヶ月分の家賃に相当する額を投じてまで帰国したいだろうか、などと相対的に考えてしまう。

というわけで、コロナ禍による「日本に帰れない」、から コロナ禍が明けても「日本へ帰らない」がここ一年の変化だ。

万一、当ブログの更新が途絶えたときには、「あぁかわいそうに、とうとうネット店へ通うお金も無くなったのか」と思って頂いて構わない。

 

 

フィリピンローカル、畑の中の生活

今週のお題「告白します」

 

 

 

実は今、「電気」・「ガス」・「水道」の無い生活を送っています…。

 

 


 


以前から借りている畑に、竹で組んだ「屋根」と「囲い」を自前で建てて移り住んだのが昨年の10月。そのことを書いた記事の最後に、住心地の方はどうか、と結んだわけですが、今回は引っ越しから5ヶ月経った生活の様子を上の3つを絡めて 少し紹介していきます。

 

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組んだ竹にビニルシート・バナナ葉などを張った屋根。最近になって中央部が裂けてきてしまった。下向きに窪んできたなと思ったらニワトリが時々乗っているよう…。割れた卵も落ちてきていたので、見てみるともう一つ卵があった。どうしよう…。

 

まず電気が無いのですが、初めの頃はどうなるかと思っていたのですが、今では それほど不自由に感じていません。

・冷蔵庫 … 日本に居た頃は、仕事から帰って、冷たいジュースなんかを1リットル近くガブ飲みするのが夏場の唯一の楽しみでしたが、フィリピンに来てからは、ほとんどの期間 冷蔵庫無しだったので、今ではぬるい水を飲む生活に慣れてしまいました。よほど冷たいものを飲みたいときはビンのコーラが240mlで10ペソ(為替レートはこちら)サリサリストアに売っているので月に1、2回買って飲みます。塩を少し入れるとおいしいので いつもそうしています。
氷も 水を袋に入れて凍らせたものが5ペソで売られているので 必要なときはそれを買います。現地の人はコンクリの壁に叩きつけて砕いて使うようです、ワイルドすぎる…。

エアコン・扇風機 … 子供の頃はエアコンのある父の部屋が天国のように思えたのですが、一人暮らしになってからは、エアコンも扇風機もあまり使わずに団扇で凌ぎ、どうしても暑いときは行水をするといった具合だったので、フィリピンでも同様に不要でした。こちらでは多くの人が一晩中扇風機をつけっぱなしにして寝ます。蚊を追い払う意味もあるのかもしれません。エアコンは工事の簡単な一体型が主流で、裕福な家についています。少し寒く感じる夜も稼働してたりするんですが何なんでしょうね。まぁ、冷房の効いた部屋で毛布にくるまって寝るのはサイコーですからね。あぁ、炬燵でアイスを食べたいなぁ。

携帯電話 … 市場で知り合った日本語を話せるピーナちゃん(私より少し年上)からタダで貰って使っていましたが、ビジネスパートナーとしての関係は終わり(過去の記事)、ロクな電話がかかってこない(お金貸してとか)ので、どうしようかなと思っていたところ、チャージ差込口が壊れたのでお払い箱に。他の友人との連絡はEメールやSNSがあるし それで十分。今日来れますかといった文面をその数日後に開けることになるのがやや難点でしょうか。ちなみにフィリピンの人と日を跨いだ約束はできません。商用はどうかわかりませんが、友人同士なら 十中八九すっぽかされます。

パソコン … フィリピンに来てからは、もっぱらネット店を利用しており、家には不要です。1ペソで5分なので1時間では12ペソ(計算すると同じお金で日本の15倍くらいの時間、ネットできますね…。)。エアコン付き・ハイスペックなパソコンのある店では15〜2ペソです。ロックダウンによって全ての店が休業となったときにはかなりキツかったです…。そこから2、3ヶ月経ち、看板を掲げない、半ばモグリのような店が市中で復活してきた時は、これでロックダウンは明けたも同然だぜ、と喜んだものです。

TV … こちらに来て あった時期もありましたが、メインはタガログ語なので、何を喋っているのか ほとんどわかりません。ドラマも多くやってますが、そんな調子なので、主にニュースを見ていました。しかしそれは、毎日似たような内容ばかりで、CCTV(防犯カメラ)の強盗の映像、汚職による役人の逮捕、ドゥテルテ大統領の動向(だいたい吠えている)、首都圏の渋滞、といった一連のものです。これに時々、中国問題、台風の情報、食糧(輸入)問題が加わるといったところでしょうか。ファミコンをつないで遊んでいた頃もありましたがそれも壊れてしまいました。電気の「質」が悪いせいかもしれません。

デジカメ … 今 持っている家電製品らしいものはこれくらい。USBでも充電できるので15ペソ/hのネット店でチャージしています。他に、私に借金のある友人や お客さんのお宅の電源を借りたりもできるので、これも自宅の電気は不要です。

照明 … 残る最後は、夜間の灯り。電球を取り付けるのだから、電気が無いわけにはいきません。しかしこれをカットできれば、電線を引いたり、電気代を支払ったりということが無くて済みます。いちばんに考えたのが懐中電灯などを使うこと。天井から吊るしたりすれば、読み書きや簡単な作業は夜間でもできるでしょう。引っ越しの前月、市場近くのDIYショップで充電式ライトが通常の半額近く、80ペソで売られていたので迷わず買いました。さらに、停電となったときに市場の精肉部・鮮魚部がロウソクを灯して営業していたのを思い出し私も試してみることにしました。これが思いのほか明るく、じゅうぶん実用可能と判断。当面、ライトとの二本立てでいってみようと現在に至ります。
もちろん、引っ越す前から、無電気生活を考えていたわけではなく、畑の隣に しばらく前に越してきた人が運良く電力量のサブメーターを持っており、それを使ってそのお宅から電線を引いて、料金を按分して支払う、といった算段をしていました。(一般の人は分数もできないのですが どうやってこうした計算の問題を解決するのでしょう?)しかし、上のとおり 現状で支障ないようなので、電気無しの生活です。日が沈めば寝て、日が昇れば起きる、という健康的な生活。
睡眠時間が長すぎてもよろしくないということなので、日没後1〜2時間、日記をつけたりして過ごします。そのライトの方ですが、不良品だったのか、過放電が良くなかったのか、2ヶ月ほどで充電できなくなってしまいました。しかし僅かなLEDの光はそれ以上弱くならないらしく、ノートの2、3行くらいが照らされるそれを使って書いていきます。読むのはちょっとつらいけど、書く方は罫線が見えればそれでいいので いけるようです。
夜遅くまで開いているネット店もあり、8時台までそこで過ごすこともあります。そうした時の夕食は、24hオープンのパンデサル専門店でそれを5個ほど買って(10ペソ)、フルーツなども食べて済ませます。

ガスの方ですが、ガス台は村の方に持っていったので、畑にはありません。お客さんに料理を作るのに、炒め物なんかが煙臭くなる心配がないし、火加減も容易、なんといっても火をおこす手間暇がかからないので村での仕事用となっています。

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台車も村に持っていったので、その代わりとして食材を置く棚を作った。バナナの運搬箱を市場のバナナ商から買って連結させたもの。キッチン台は別にある。


畑では竹などが生い茂っているので、乾かしておけば薪に困ることはありません。バナナの木(草本)も多く、その枯れ葉にマッチを擦って火を着け、竹の細い枝をいくつか折り返して針金で束ねておいたものを炙り、最後に太めの竹や薪を乗せるといった順で火を起こして煮炊きをします。灰はそのまま畑の肥料になります。

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炉のすぐ傍にあるナスの株。大きな実が5つぶら下がっている。

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畑の様子。数えてみると30種類もの食べられる植物が植わっていた…。
大した額ではないが茄子や唐辛子の苗の販売もしている。

 

水道もありません。裕福な順に
・公設のメーター付き上水道を使う
・自前で井戸を掘り、揚水ポンプと貯水タンクを設けて蛇口をひねる
・井戸の脇に人力ポンプ(2000ペソ)を取り付ける
・井戸に竿を下ろして汲み上げる
となっていますが、私はいちばん後者です。畑の井戸には人力ポンプが付いているのですが、逆止弁が壊れてしまい そのままになっています。自力で汲んだほうが早いし運動にもなるのでそうしています。洗濯も一人暮らしの頃から手洗いの期間もあったので洗濯機無しでも問題ありません。
飲料水の方は、近くの水屋さんがなぜかずっと ご厚意で無料となっております。時々 お菓子や料理で返礼をしています。

 

というわけで、現在 私は電気・ガス・水道の無い生活を送っています。これは、フィリピンの大多数の人より貧しい生活のはずですが(極貧でなければ TVと扇風機があって、毎日冷たい炭酸ジュースを飲んでいます。もちろん室内灯もあります)、働きたい時にだけ働き、自分が作ったものをおいしいと言って食べてくれる子供たちがいて、私も日本で作っていた時より おいしい料理が作れるようになり、畑ではキッチン台から10歩圏内で10種類以上の野菜が穫れる。多少の制約はあるのかもしれませんが、日本でこれ以上の幸せを探そうとするのは、少なくとも私にとっては かなり難しいように思われるのです。

 

 

 

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子供から借金のカタとして頂戴したフルーツも入った、マカロニスープカレー
畑からは芋の蔓、苦瓜、キューリ(ピクルス)、蔓豆、茄子、ピーマン、唐辛子、レモンバジル、ウコン、ヨモギが入った。

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つづいてのメニューは…

 

4日間立て続けに仕事を入れ、さすがに疲れが出てお休みを2日挟んだ。疲れた状態で仕事をしてもミスをしたり、いたずらっ子の対応にイライラしたりロクなことがないからだ。

今回のメニューは、ハンバーガーに続くウスターソースを使った料理、お好み焼き。ウスターソースを作る時間を考慮に入れなければ、実はこのお好み焼きが、調理時間あたりでいちばん利益が高い。8つに切ったその1切れを村では20ペソ、市場では25ペソで売っており、1枚焼けばそれぞれ160ペソ・200ペソの売上げだ。*1

さて、買い物リストを手に市場へ。しかしキャベツの値段を訊いて、その返答に耳を疑った。1/4kgで40ペソとのことだが、これまでのキャベツの値段は1kgで40〜60ペソが相場であり、1kg160ペソなど聞いたことがない。お好み焼きにしたって、テント市 で15〜25ペソで投げ売りしているのを買えたときに作っているもので、その8倍くらいの値では利益があがるわけがない。白菜でお好み焼きが作れるのかどうかはおいといて、その値を訊いてみるがやはり似たような値段。コロナ禍で値崩れが起こったということだが、それはもう昔のことなのか?

さぁこれでメニューが白紙になった。今日もお休みにするつもりは無く、仕事用のノートをリュックからひっぱり出す。調理を始めなければならない時間は迫っており、今から間に合う、且つ安価な食材で、年末セールに似つかわしい珍しいメニューは、と頁を繰る。怒涛の予定組み替え、ウデの見せ所である(日本に居たときの仕事スケジュールの組み替えを思い出した)

どうにかして、冷やし中華ならこの全てを満たせると思案、メモを書き直して買い回る。
市場をあとにしてしばらく歩いたところ、肝心の麺を買い忘れてることに気がついた。大きな間違いほど気付きにくい。沿道のタリ パパ(露天商)を見るが細麺が無く、市場まで戻ることに。現在もPass Slipという通行証が入場に必要で、消印がなされるため一日に一回しか使えない。果物商が市場の外周に配置されており、顔なじみの店主にお使いを頼んで事なきを得た。


ここフィリピンにおいては、冷蔵庫のない時代の遺物とみられる料理がそこかしこで見られる。よく火を通すため揚げたり(fried fish)、保存性を高めるために塩や砂糖を多用したりしたしている(banana cue)*2
そんな具合なので、毎日が油・塩・砂糖の祭典である。そこへ今回の、冷たくさっぱりした冷やし中華の投入だ。宣伝には現地の耳に馴染みの良いよう、マラミック・パンシット(冷たい焼きそば)とした。

冷やし中華がウケることは、これまでに何度か 親しくなった人たちに作って振る舞ってあげたことがあるので わかっている。冷たい麺と多彩な具材が売りのこのメニューもハンバーガー同様、普通に作っては利益が出ないので、具材の方を絞っていく。今 数えてみたところ、仕事用ノートの原レシピには 19種類が具材の候補として列記されている。これまではその中から半分くらいを選んで作っていたのだが、今回はさらに絞って、外せないものだけにしていく。
そうして選ばれたのが、薄焼き卵、トマト、オクラ、干しアミエビ、の4つだ。トマトは相変わらずの高値だが彩りとして欠かせないので、5ペソで2個だけ買って、薄く切って添えることにした。
ピクルスもおいしく仕上がっており、酸味と酸味でケンカしないだろうと入れることに。

 

村へ向かい、準備室?から台車を出動させる。氷(5ペソ)を買わなければならないが、調理中に近くのサリサリストアに買いに行こうものなら100%調理器具か食材が無くなるので、前もって買ってタオルに包んでおいた。

冷やし中華のタレもネットや市販品の原材料欄を参考に、これまた現地特有のものを加えて完成させた配合である。今回は畑の方で混ぜ合わせ、村で野菜を切ってしまえば、あとは薄焼き卵を作って麺を茹でるだけである。

今回も風の少ない廃民家*3の陰に陣取って店開き。
卵を焼いたあと、同じフライパンで湯を沸かす。ガスもタダではないので熱の有効利用だ。フィリピンの細麺は特にのびやすいので再び沸騰したところで湯からあげる。同じフライパンだと今度は氷の方早く溶けてしまうので、今回は別の釜を用意し、二度 水で粗熱を取って氷水に晒した。

ザルという文化的なものは持ち合わせていないので、水切りには不織布を使った。これは3年前だかに日本に帰ったときに西成のダイソーで買ったもので、我ながらナイスなチョイスである。料理に使おうと思って買ったわけではなかったはずだが、今はこうしたことなどに重宝している。一方 フィリピンでは、やはりというか、こうしたニッチながら痒いところに手の届くアイテムというのは、改めてDIY店やショッピングモールを見てみても置いていない。面積がだだっ広いだけのアメリカ式の倉庫型店舗が全てなのである。


今回も、冷やし中華の味を多くの子に知ってもらおうとウータン率は高め。

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女の子が手にしている小さなカップの7分目くらいの盛りで5ペソ。
写真の左下には 味の要、ゴマ油のビンが見える。

左の子はウータン申請がこれ以上通らず やや不満顔。
「ウータンする!おいしいから!」。借金する理由が「おいしいから」。おいしいならなおのこと身銭を切って買うべきだと思うのだが 私の考えの方が間違っているのか。
箸にチャレンジしている右の子は、日本の子供はみんなこれを使えるの?とのこと。このあとウータンで冷やし中華を食べ、あなたの料理は全部おいしい!と絶叫していた。おいしかったのを伝えるのに なにも大声を出す必要はないと思うのだが(味皇大阪城みたいなものか?)。

今回は総コスト86ペソに対し、全量は140ペソ、2倍にすらなっておらず利益が悪い。@5ペソではなく8ペソにすべきだったか。

原っぱから帰るときには上の2人にガス台やバッグを持ち運んでもらい、ウータンマイナス3ペソとした。台車で行くと、車輪が石に躓いたとき一発でバッグなどが飛び出てしまうのだ。ゆっくりとしか引けず台車の意味が薄い。次回からは、バッグは台車にくくりつけて、フライパンは紐をかけて肩から提げて行くことに変更。

*1:営業許可さえ下りれば、隣の市で1切れ35ペソでも売れると思っている。そこの夜店で売られている28ペソのピザよりも珍しく、35ペソのケバブよりおいしい( ※ 個人の感想です )のでその価格で問題ない。夜店を出したときの活況の様子は過去記事参照。1時間で3枚焼けるとして280✗3で840ペソ、イカを増量したとしてもフィリピン人男性の日給(400〜600ペソ)くらいはすぐに稼げそうだ

*2:乾季の定番のおやつ、ハロハロ(かき氷)も、終戦後になって日本人が始めたのが起こりとされている

*3:正確には建築中に放棄された家。もしお金が入ったら再着工となるはず。これは、フィリピンにおいてはあるあるの工事スケジュールで、経済の中心地マカティ市に於いても、建築途中で資金が尽きたのか金回りが悪くなったのか、造り差しの高層ビルが苔をむして あちこちで崩落の危機を迎えている。金融街を闊歩するのも命懸け、修羅の国 フィリピン

年末商戦4日目 ―― 手作りウスターソースでハンバーガー

前もってリストアップしてある年末メニューの候補の中から今回はハンバーガーをチョイス。
出し物を日替わりにしているのは、単に私が飽きっぽい性格のためにいろいろなものを作った方が楽しくやれるというのと、子供にもどんな料理が出るのかとワクワク感を持ってもらいたいからだ。
 
日本ではどうか知らないが、ここフィリピンでは、いろいろなおかずが並んでいる作り置きの食堂(トゥロトゥロ)を別にすれば、日替わりで料理を提供している屋台というのは見たことがない。
確かに、一品に絞っておけば、工程も決まっているので作業はラクになるし、何より買い入れておく食材や調味料も同一なので鮮度管理(食材廃棄)の問題は発生しにくい。私はこの逆をいっているわけだが、前者の点は、毎回ノートに原材料のリスト(=後の買い物リスト)と次回の改善点を記しておくことでほぼクリアされ、後者の問題も
・まめに市場に行って生鮮品の備蓄はしない
・手作りウスターソース、手作りピクルス、そして十数種類のスパイス・ハーブといった長期保存できるものを揃えておく
・安値の時にまとめ買いした野菜を使い切れるよう多くのレシピを身につけておく
といったことで負担をかなりの程度、無いものにしている。
 
さて今回のハンバーガーだが、こちらの「要」といったら何といっても甘酸っぱい手作りウスターソースである。
フィリピン人の味付けといえば、醤油・砂糖・酢・にんにく・玉ねぎ・でチキンなどを煮る「アドボ」(How to cook adobo)アミエビの発酵調味料である「バゴオン」柑橘を使った「toyomansi」などたいしたバリエーションは無く、ウスターソースお好み焼きソースは未知の味である(厳密には、隣の市のショッピングモールにウスターソースは売ってあるのだが、これ幸いか 私の町の市場で見かけることは無い)。この味を知ってもらえばリピーターとなって後々の販売がずっと楽になる。
そうしたこともあって、今回はウータン(借金)を緩めに許可して大売り出しとした。味の方は確かなようで、食べたほぼ100%の子がもう1個ウータン、とせがんでくる(が、残念、ウータンで食べられるのは一回だけだ)。
こうして固定客の子を掴んでおけば、その子が成人して子供ができても私の料理を買い与えてくれるだろう。こうした目論見のうえにウータンが許可されていることに思い至る子は一人もいない。この日本人が作るものならまず間違いはないだろうと、半ばブランドが確立されつつあり、メニューを訊くのもそこそこに会うなりビリ・アコ(私、買います)、とコインを出してくる子すら…。

このようにして、不法滞在日本人による食の文化侵略は静かに進行しつつある。(編集部注;SRRVはAEPを取得しないと働いてはいけません。(いつだったかチャイナタウンの夜の屋台の様子をみたいなと思ってトンド・屋台とかでググってみると動画が出てきて、近くの初老の日本人がやっている食堂がヒットしたがこれは婚姻ビザだから問題ないとして、もう一つの青年の方は3ヶ月に一度 出国しないといけないので、と答えており、これはガッツリ観光ビザであって、逆立ちしても商売してはダメなビザ。看板や幟も出していたけどいいのだろうか?)

私が作るこのハンバーガー、みなさんの知るビーフ100%で作っていると利益が出ないどころか大赤字になってしまう(もしくは子どもたちの手の出ない価格になってしまう)ので、さまざまな営業努力でこれを克服している。(ちなみに牛肉は₱400/㌔前後、豚肉は₱300(半年前まで₱240だったのに急に値上がりした)チキンは₱160(骨も付いているので感覚としては₱200くらいか)。エビやイカは₱300台、フィリピンの国魚バングス(ミルクフィッシュ、日本でカレーにも使われる、私もやってみたい)は₱150〜200、大衆魚ティラピアは大きさによって₱20〜100だ(安いなぁ、今度フィレオフィッシュに挑戦するかぁ)

まず、牛肉ではなく豚肉を使う。少しだけのそれを、玉ねぎと私の畑で取れたストリングビーン・茄子・芋蔓と合わせて炒め、卵(@₱7を2個使用)でとじる。ハンバーグのメソッドから着想を得て、卵液には嵩増しとして押麦・パン粉が混ぜられている。
これらは大きなひとつのフライパンで作られ、その丸く薄い卵とじを3✕3に格子状に切り分ける。できた9つの他に、その外側、円のフチに当たる部分が4つできるので最大13枚のパティが取れる。
バンズの方は6個入のもので、村や沿道のサリサリストアで₱25で売られているが、もちろん市場の方が安価で、₱20で買ってくる。この1個を水平方向に4つにスライスすれば2つのハンバーガーを作れるので一袋では12個となる。
これを1個16ペソ、その半分にしたものを8ペソで売っている。Wバーガー仕様も可能でそちらは30ペソとしているがまだ注文がかかったことは無い。こうした価格は、路傍のフランチャイズ店はBAY1TAKE1といって2個売りが基本で、ハンバーガーが32ペソ、チーズバーガーが40ペソといった価格帯なので、それと似たようなものだ。むしろ私のバーガーの方が手作りパティである分、お値打ちかもしれない。

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おいしいハンバーガーにレタスは必須だと思っていたのだが、顔見知りになった野菜商から、見切り品をタダ同然で仕入れていたのをその人が廃業となったため、採算ラインで入手することができなくなってしまった(というか、レタスが手に入った時だけハンバーガーを作っていた)。他にハンバーガーに入っている野菜といえば、先にも挙がったキューリ(フィリピン名:ピピーノ)のピクルスであり、これを手作りして使うことにした。砂糖を多めに入れるとおいしいようだ。そしてここでも驚きの南国フルーツ味で、スパイス・ハーブも5種類以上入っている。

パティとピクルスを乗せ、最後にウスターソースバナナケチャップ(前回の稿参照)、マヨマジック、マスタードソースの4つのソースをかけて完成だ。他のハンバーガー店や最大手のジョリビーバーガーなどは、甘ったるいソースがかかっているだけでとても食べられたものではない(「ジョリビー」ググると「ジョリビー まずい」が候補に出てくるので察してほしい)。

私も夕食を食べないといけないが、パティを3つほど残して販売を打ち切り、近所のウータンのあるお宅から その相殺として日清カップヌードル(大)の容器にご飯を12ペソで盛ってもらう。これは一般の食堂の1.5倍ほどの盛り率であり、私が損を被ることはない。
一方、余ったバンズの方は当日か翌日に「チョコバナナパン」として売る。スライスしたバンズに薄切りのバナナを乗せてチョコソースをかけたもので、日本のチョコレートパフェをイメージして、(私が食べたいから)開発されたものだ。これも子供に人気が高く、手間を掛けずよい利益が約束されているメニュー(だが、乱発はしないようにしている)。チョコソースは糖度が高いためか冷蔵庫に入れなくても日持ちするし(冷凍食品はどこの市場でも 日長一日常温で陳列されているので、これくらいは日本にいる諸氏の心配には及ばない)、バナナの方は私のおやつとして携行している分なのでその消費具合はどうとでもできる。さらにそのトッピングのどちらかが切れたときはロフト部にハチミツ瓶を常備してあり、それを少量かけてハチミツパンとして売る(ハチミツは市場なんかに売ってあるのに食べたことがない子がほとんどだった)。このようにして、小さな工夫を重ね、安価且つ持続可能なハンバーガーが実現されているのである。

 

能書きがたいへん長くなってしまったが、今回は初めてバンズを2袋買って販売することにした。ご飯ものに近いくらいの利益を上げるには1袋では足りないのだ。挽肉と野菜を2回分炒めてその半分だけを卵とじにし、残りは明日の販売分として残しておくことにした。

12/27の夕方は現金60ペソ、ウータン90ペソ。8の倍数になっていないのは子供からのリクエストに応じてさらに半分に切り分けたものを売ったり、これまた子供からの提案で挽肉増しのデラックス版を作って売ったりしたためだ。1袋すべて売れば192ペソになる計算だが、不足の差分は私のお腹に収まった分だ。味見したらおいしかったので今回はそのまま夕食になった。

7時半に閉店とし、続けて自家消費分の「食べるラー油・肉入りバージョン」を同じフライパンで作る。こちらも砂糖・塩・油を通常の食品の倍ほど入れて保存性を高めているもので、野菜分が控えめながら、忙しいここ最近にはご飯を炊いておくだけで一食食べられるので重宝する。小瓶に入れておくので村へ持っていって、近所からライスをせびればそれで済むので、「機動性の良い」食品である。


翌28日は昼に販売して現金78ペソ、ウータンは100ペソ。

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早くも、両日ともにウータンが現金を超過しているが、上述のように、多くの子にウスターソースの味を体験してもらい、次の販売機会の種を蒔いたということで問題視していない。

ちなみにウータン回収の方は2月現在あちこちで焦げ付きの様相を見せている。トホホ…

年末商戦3日目 ―― ケチャップライスを販売

よく買ってくれる子から、ケチャップライスが食べたい、と先日リクエストが入った。こちらのメニューは米1kgに対し500mlの手作りトマトソースを入れて作っているわけだが、ここ2ヶ月ほどトマトが高騰し、120㌷/kgという記憶にないくらいの高値を付けている。私のトマトソースは20〜30㌷/kgのときに1〜1.5kg買い入れて作るのだが(古くなったものが10〜15㌷ということさえある。運搬費・販売費が出てないだろそれ…。リンゴやバナナより安いのでフルーツの代わりに食べていた時期もある)、こうも高値だとさすがに手が出ず ずっと作らないでいた(商売を抜きにして自家用としても、瓶カレーより日持ちするし、トマトソースを使ったスパゲティは何も食べるものがない朝なんかには重宝するし、おいしい)

今回、注文が入ったことで、なんとかして作れないかと考えた結果、市販のトマトソースは割高なのだが、安い「バナナケチャップ」を使って作ってみることにした。これはバナナに砂糖・酢・コーンスターチ・着色料・香料などを混ぜられて作られた甘めの似非ケチャップなのだが、トマトケチャップにしたって無茶苦茶な量の砂糖が入っているとんでもない味のものデルモンテのトマトケチャップのラインナップは「オリジナル」「イタリアン」「スウィート」「フィリピーノ」の4つなのだが「スウィート」より「フィリピーノ」の方が多くの砂糖が入っている…。どれだけ甘い物好きなんだ、フィリピン人…。)なので似たり寄ったりだ。
バナナケチャップにコリアンダー・粗挽き胡椒・アニス・タイムあたりを加えればそれなりのものができるだろうとみて構想を練る。いつもは炒り卵を作っておいて仕上げに混ぜ込むのだが、チャーハンで出た利益を還元してあげようかと鶏肉も入れることに。卵は従来の半量として、総コストは154ペソとなった。コーンがケチャップライスには欠かせないと思っているのだが、日照不足か連作障害か、私の畑では10月を最後に実らなくなってしまい入れることができなかった。野菜は玉ねぎとナスとストリングビーンがそれぞれ少しずつ。人参はやや高値のため、彩りとしては赤に赤なのでまぁいいかと今回は見合わせ。

昨日の大成功で気が緩んだか、またも出遅れてしまい、日も暮れて、初めてロウソクを使って下拵え。これではさすがに鶏肉の腱は切りにくい。7時のご飯炊きあがり、7時20分の原っぱ入りとなってしまった。そこから調理を始め8時から販売開始。となるのだが、その直前にハプニングが。バランガイ(フィリピンの行政単位の最小のもの、「村」)のポリスが来た、と騒ぎになり(コロナ禍なので集まってはいけないし、子供も遅い時間に家の外に居てはならない)、子供たちが一斉にワーッと蜘蛛の子を散らすように居なくなってしまった。バランガイポリスの姿は私の目では確認できなかったので、誤報なのかどうかわからないが、10分ほどで子供たちは元の数近くまで戻ってきたので事なきを得た。バランガイポリスが見回りに来ても、一時の効果しかない…。
9時頃まで営業して、ウータンも交じえ、ちょうど100ペソの売上、早くも20ペソ札は姿を消しコインだけとなった。金使うの早すぎだろ…。
調子に乗って1.1kgの米を炊いているので、かなりあまってしまっており、夕食をたらふく食べて明日に臨む。

 

翌朝は水を少量入れて再度蒸し直し、食感も復活させるためさらし玉ねぎも散らして、7時から10時までの販売。朝食の時間を過ぎてもよく売れた。

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最後はリクエストをくれた近所の子たちといっしょに食べた。酢も入っているので冷めてもおいしい。

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朝の売上は、量を捌かないといけなかったのでウータンを緩めに許可して80ペソ分と、現金は140ペソで二日間通しではまずまずの売上・利益となった。

主力の「ごはんもの」3種を終えて、次からはさらなる展開をさせていく。

 

 

 


 

 


緊急事態発生
畑の小屋の方に泥棒が入り、現金150ペソくらいと卵5個が盗まれました。今月末まで約3週間を投入し、柵の増強をしております。ブログは作業が終わり次第、通常ペースのでの更新になると思います。

 

年末商戦2日目――チャーハンを夕方の村で販売

25日も村での販売の予定を入れてある。メニューはチャーハンで、こちらもドライカレーに負けず劣らずの改善を繰り返している自信作。今回はエースの「紅生姜(南国フルーツ味)」を欠いてはいるものの、その状態でもドライカレーよりおいしいと言う子が居るくらいのレシピである。多くのウェブページや動画を見てきたので、原材料を見るだけで、味がわかる(明らかに抜けている調味料があり たいしたことないなと思う)ようになってしまった。ラードか豚バラ肉の刻みでも入れない限り――つまり、卵と干しエビと野菜と通常の調味料だけで現行の私のチャーハンに勝るものは、ネットに限るなら見当たらない。味覇とか冷凍チャーハンがおいしいらしいが、日本に居たころも今も食べたことはないので残念ながら比べることができない。

午後。疲れの残る体で市場まで30分ほどの距離を歩き、材料を買ってくる。「新鮮な青ねぎ」というのに目をつぶれば、米・玉ねぎ・卵・干しエビなどの日持ちする材料だけで作ることができるので、買い置きしておけばこの工程は省くことができそうだ。村から市場へのちょうど中間くらいの所に畑(と小屋)が位置しており、中継基地としては絶好のロケーションで、食材のストックは主にここにある。メインの住居はこちらであり、仕事のない日はこちらで寝起きしている。住処は分散化されており、浜に知人の小屋が2つ、その気になれば寝させてもらえる友人の家も市場近くと隣の市に2つあるので、レントスペースと合わせれば6つ確保してあることになる。

本日は、台車は村の方へ移動済みなのでその分はラクなはずである。時間にもゆとりをもたせて村に入った。東の原っぱには、今日こそ多くの子供が走り回っている。
レントスペース前で炊飯した釜を、子供用ジーンズに包んで保温。それを台車に積み込んで東の原っぱに移動し、明るいうちに調理に取り掛かったが、日が沈みロウソクを灯し続行。しかし火を吹き消すという悪戯(遊び)が横行し その度に中断。
月明かりとライトだけで続けることもできたが、日没後は犯罪率が格段に上がる。目を光らせていないと調味料や調理器具が次々と消えていくのだ。悪意のある子の他に、フィリピンでは物を大切にするということがないので、冗談半分で取って 私が気付かなければ(=遊びに 乗ってこなければ)そこら辺に捨てるという子も居る。こちらはたまったものではない。

販売は絶好調で、子供はほとんどの場合分けあって食べるので、おいしいことがわかったら次々と注文が入る。1kgの米を使ったチャーハンは、8時過ぎに完売(下の写真は最後の一組)。

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終わってみれば363ペソの現金売上、これは1kg米で作ったメニューとしては最高の売上額となった。ウータンの割合も30ペソと低く抑えられている。因みに自家消費は25ペソ分で、Freeは12ペソ分、風防としてガス台の近くに模造紙を持ってもらった子に進呈したりした分。

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閉店間際、来客が一段落したときに台車を撮影。左翼にガス台置き場を備え、右翼に もう一枚置き台を拡張できるというオプションも備えたスグレモノ(?)だ。

青年がソフトドリンクと引き換えとして買っていったので袋入りのそれが写っている。

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チャーハンの魅力はなんといっても他のメニューと比べ原料費が安いこと。今回のコストは125ペソ、総売上が393ペソなので、差分の268ペソが利益ということになる。ガス代は含まれていないが、5ペソくらいのはずでカレーを煮込むのでない限り無視できる範囲だ。
時給換算としては、フィリピン人の行う軽作業を40ペソとすればその1.5倍近くになるので、少なくともチャーハンの調理販売に限ればフィリピン人の仕事より抜きん出ているといえそうだ。

手元には20ペソ紙幣も含めて多くの現金。そういえば、いつもは5ペソの注文(ハーフオーダー)がほとんどなのに、今日は10ペソの注文が多かった。前日の「レイワ・マネー」の流入か。
Japan資本による「提供」での、Japan料理の「提供」となったわけで、いうなれば「(面識もない)まさかの日本人コラボ」ということか。

しかし今回明らかになったのは、このビジネスモデルの「第一制限アミノ酸」って(薄々気付いていたけど)やっぱり「子供の持ち金不足」だったんだなってこと。私の命運は子供たち(の財布)に握られているのか…、それとも連日料理を作っていれば、夕方までその日のお小遣いを使わずにキープしてくれるのだろうか?
まだまだ油断はできない。