年末商戦2日目――チャーハンを夕方の村で販売

25日も村での販売の予定を入れてある。メニューはチャーハンで、こちらもドライカレーに負けず劣らずの改善を繰り返している自信作。今回はエースの「紅生姜(南国フルーツ味)」を欠いてはいるものの、その状態でもドライカレーよりおいしいと言う子が居るくらいのレシピである。多くのウェブページや動画を見てきたので、原材料を見るだけで、味がわかる(明らかに抜けている調味料があり たいしたことないなと思う)ようになってしまった。ラードか豚バラ肉の刻みでも入れない限り――つまり、卵と干しエビと野菜と通常の調味料だけで現行の私のチャーハンに勝るものは、ネットに限るなら見当たらない。味覇とか冷凍チャーハンがおいしいらしいが、日本に居たころも今も食べたことはないので残念ながら比べることができない。

午後。疲れの残る体で市場まで30分ほどの距離を歩き、材料を買ってくる。「新鮮な青ねぎ」というのに目をつぶれば、米・玉ねぎ・卵・干しエビなどの日持ちする材料だけで作ることができるので、買い置きしておけばこの工程は省くことができそうだ。村から市場へのちょうど中間くらいの所に畑(と小屋)が位置しており、中継基地としては絶好のロケーションで、食材のストックは主にここにある。メインの住居はこちらであり、仕事のない日はこちらで寝起きしている。住処は分散化されており、浜に知人の小屋が2つ、その気になれば寝させてもらえる友人の家も市場近くと隣の市に2つあるので、レントスペースと合わせれば6つ確保してあることになる。

本日は、台車は村の方へ移動済みなのでその分はラクなはずである。時間にもゆとりをもたせて村に入った。東の原っぱには、今日こそ多くの子供が走り回っている。
レントスペース前で炊飯した釜を、子供用ジーンズに包んで保温。それを台車に積み込んで東の原っぱに移動し、明るいうちに調理に取り掛かったが、日が沈みロウソクを灯し続行。しかし火を吹き消すという悪戯(遊び)が横行し その度に中断。
月明かりとライトだけで続けることもできたが、日没後は犯罪率が格段に上がる。目を光らせていないと調味料や調理器具が次々と消えていくのだ。悪意のある子の他に、フィリピンでは物を大切にするということがないので、冗談半分で取って 私が気付かなければ(=遊びに 乗ってこなければ)そこら辺に捨てるという子も居る。こちらはたまったものではない。

販売は絶好調で、子供はほとんどの場合分けあって食べるので、おいしいことがわかったら次々と注文が入る。1kgの米を使ったチャーハンは、8時過ぎに完売(下の写真は最後の一組)。

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終わってみれば363ペソの現金売上、これは1kg米で作ったメニューとしては最高の売上額となった。ウータンの割合も30ペソと低く抑えられている。因みに自家消費は25ペソ分で、Freeは12ペソ分、風防としてガス台の近くに模造紙を持ってもらった子に進呈したりした分。

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閉店間際、来客が一段落したときに台車を撮影。左翼にガス台置き場を備え、右翼に もう一枚置き台を拡張できるというオプションも備えたスグレモノ(?)だ。

青年がソフトドリンクと引き換えとして買っていったので袋入りのそれが写っている。

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チャーハンの魅力はなんといっても他のメニューと比べ原料費が安いこと。今回のコストは125ペソ、総売上が393ペソなので、差分の268ペソが利益ということになる。ガス代は含まれていないが、5ペソくらいのはずでカレーを煮込むのでない限り無視できる範囲だ。
時給換算としては、フィリピン人の行う軽作業を40ペソとすればその1.5倍近くになるので、少なくともチャーハンの調理販売に限ればフィリピン人の仕事より抜きん出ているといえそうだ。

手元には20ペソ紙幣も含めて多くの現金。そういえば、いつもは5ペソの注文(ハーフオーダー)がほとんどなのに、今日は10ペソの注文が多かった。前日の「レイワ・マネー」の流入か。
Japan資本による「提供」での、Japan料理の「提供」となったわけで、いうなれば「(面識もない)まさかの日本人コラボ」ということか。

しかし今回明らかになったのは、このビジネスモデルの「第一制限アミノ酸」って(薄々気付いていたけど)やっぱり「子供の持ち金不足」だったんだなってこと。私の命運は子供たち(の財布)に握られているのか…、それとも連日料理を作っていれば、夕方までその日のお小遣いを使わずにキープしてくれるのだろうか?
まだまだ油断はできない。

 

 

年末商戦1日目 ―― 村での販売を本格的に再開させて、フィリピン生活の黒字化なるか

12月24日。

3年ほど前に製作して少し使っただけ(以前の記事(の後半))の、キッチン台車を今年の年末商戦に投入しようと、前日までに再整備を終わらせた。自家用として使っているガス台も搭載させて、薪焚きの手間や煙臭さも解消とする。
午後4時ごろか、私がメインで寝起きしている畑の小屋もどき(以前の記事(の後半))から、台車を柵を越えさせて出発。急ぎたかったが小さな車輪で道も良くないためゆっくりゴロゴロと引くしかない。しかし村道に出てほどなく、知り合いの親日派のトライセクルドライバーが通り、声をかけてくれた。ありがたいことに村まで台車ごと送ってくれるという。

村の入り口まで着き、料金を、と言うが固辞され無料となる。後で返礼要。
村の東寄りを経由して原っぱの状況を見る。先日から、村へ行くときは夕刻の原っぱの様子を確認するようにしている。どの日も、日が西に傾くと涼しくなるため多くの子供達の走り回る姿が見られ、それに対し出店は時々フィッシュボール店が来るだけ。今年も多くの子供達が買いに来てくれるはずだ、と皮算用していた。

しかし本日来てみると、やけに子供が少ない。首を傾げながら、調理器具など一式を置いてあるレントスペース(以前の記事)まで到着。
台車に積み込みをして東の原っぱへ行こうとしたが、どうも様子が気になり、先に歩いて見に行った。すると、なんということか、広い原っぱに子供が二人座っているだけ…。
これでは子供の前で調理実演をしてさらに集客を増やすという目論見が外れてしまう。ゴロゴロと台車を引いて行っても仕方がないので、今までも時々していたとおりレントスペースの前で調理して村内を売り歩くスタイルに変更することに。


調理をしていると、近所の馴染みの子がやや興奮した面持ちで駆けてきて、村の西側、海沿いにあるリゾート施設が、なんと現金200ペソを配っているという。手にはその現金とキャンディなどのお菓子、プラスチックのおもちゃが握られている。
東の原っぱに子供が居なくなったのはこれが原因か、ぐぬぬ、となる。立てた計画を丸潰しにされ、腹を立てながら野菜をカット。

そのリゾートは、日本の新しい元号が冠された、日本資本の小規模リゾートで、20メートルくらいのプールに加え、半年ほど前からトゥロトゥロ(作り置きの簡易食堂)とサリサリストアも開店させている。高齢の日本人男性の所有ということで、何人かの村の人から噂は聞いていたが、わざわざ会いに行くこともないかとそのままにしていたし、脇を通るときにちらりと中を窺うこともあったが日本人らしい顔を見ることはなかった。まぁBossが表に出ることは少ないだろうし、ましてコロナ禍となった現在では日本に帰っているのかもしれない。

他の子にも話を聞くと子供だけではなく、大人にも現金を配っているらしい…。 マジかよ、と炊飯の火を付けたところでリゾートの様子を見に行った。
リゾート前の門には、降って湧いたレイワ・マネーに多くの子供と大人が集まり騒然としている。

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200ペソといえば大人の半日分の給料に相当するわけだ。これは純然たるバラ撒きであり、あまり良い趣味とは私は思わないが、宵越しの金は持たないとしている人たちには、金の出処など気にかける対象ではないのだろう。

 

持ち場に戻って調理を再開。200ペソなんてたった400円ちょっとじゃねーかチクショウ、なんて毒付きながら、肉や野菜を炒めていく。
東の原っぱには子供は居ないが、考えようによっては、多額の現金を持った子が村内に多く居るわけで、パヒギ攻勢(前回の記事参照)の分も併せ購買力は増しましになっているはず、商機の方は相変わらずあると気を取り直して行商の準備を終える。

リゾート周辺にまだ人が居ればそこでたくさん売れるかも、と小学校のフェンスに釜を針金で留めて売っていたのを思い出し、針金も用意して向かったものの、貰えるものを貰ったらもう用は無いということか、夕闇の門の前には 人っ子一人 居ない…。 他人の褌で相撲を取って、負けた、みたいなシュチュエーションにまたも ぐぬぬ となったが気持ちを切り替え、村内を回る。

諸々のことで出鼻をくじかれ時間は遅れている。しかし、今夕の完売とならなくとも、翌朝にも売れるのだし、たくさん余ってしまっても氷を買って、翌朝に蒸し直しをすれば昼にだって売ることができる。
東の原っぱへ向かったところ、子供はまぁまぁ戻ってきており、月明かりのもと、ペンライトを咥えてサーブ。
いつもはウータン(借金)を頼んでくる子がたくさん居るが、レイワ・マネーなのかどうか、本日は現金買いがほとんどだ。ドライカレーの量は十分あるにも拘らず、このメニューはかなり久々なので(カレーライスはレントスペースの近くで週一、二回作り続けていた)、我先にとあちこちから声がかかり、手が伸びる。

一段落したところで村内を回るがこちらの方は今ひとつ。クリスマスで財布の紐は緩くなっているが、さすがに時間が遅すぎてご馳走は既にテーブルの上に並べられている。

村はトタン屋根の家々が密集しているのだが、数軒おきにはクリスマスを祝う飲み会が開かれており、漁師さんの集まりと思われるところには、日頃 早朝の浜で売り物にならない魚なんかをくれることがあるのでその返礼と私の名刺代わりも兼ねて、少しだけだがお皿の空いたところにドライカレーをFreeと言ってサーブしていく。
あちらからはジンを勧められることも多く、飲んだり断ったりして各所を回る。

村内を二巡してレントスペースに戻ってからも近所の子が買いに来てくれたりしたが、やはり時間が遅かったのがネックとなって、少し多めに余ってしまった。夕食は新顔の具材、シニガンの入ったドライカレーをたらふく食べることになったのだが、お腹いっぱいにまで食べると当然 利益が減っていく。翌朝はたくさん売れるのだろうかと心配しながら、くたくたになって、浜にある仲良くなった村の男性の小屋まで行き、竹の机の上で就寝。

 



翌朝は夜明け前に起きてレントスペースに戻り、釜の中に水を足して蒸し直して 村内を売り歩いた。こちらは好調で、朝食を終えたはずの時間になっても子供からの注文が続き、私の朝食の分は残ることなく完売。

気になる売上の方は現金で306ペソ、ウータンは17ペソなので合わせて323ペソであり、前出の月に5000ペソの収入があれば、という話は利益ではなく売上をベースにしているので、300ペソ以上の売上があるなら月に20日弱、このような仕事の日を入れればいいということになる。

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ちなみに、コストは180ペソなので、利益は289ペソ。
自家消費は40ペソ分、Freeは45ペソほど。この分は本来なら販売に振り向けてもいいものであり、利益はさらに上積みされる。


こうして年末商戦1日目(プラス翌朝)は終了。

写真は現金バラ撒きを最初に知らせに来てくれた女の子が2Fに遊びに来たところ。

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おもちゃのホワイトボードに向かって真剣な眼差しを注いでいるが、描いているのはタダの落書き…。
裏面は黒板になっていてチョークも付属している良いものだが、フィリピンの子は全くものを大切にするということがないので、一週間もしないうちに飽きてしまって捨てるか失くしてしまうだろう。ウータン相殺で買い取って、お品書きに使えないかな…

 


つづけて2日目も書こうと思ったけど長くなったのでまた今度。

フィリピン滞在のタイムリミット――残りの日本円でいつまで暮らせるのか

前回の冒頭、「さぁ大変なことになった」と書いたが具体的に何が大変なのか。
ビザが効力を失っていないという証明であるPRA(フィリピン退職者庁)発行のIDカードの更新がコロナ禍の中でできず、私のIDは期限切れとなってしまっている。

私は日本から数十万の現金を持ち込んでいたのだが、それを再び補給するために、今年の夏に一時帰国するつもりでいた。しかし期限切れのものでは審査をパスできない(厳密には、県をまたぐ移動には政府機関への申請が必要なので その時点で問題が出てくるだろう)。お金のことはフィリピンで生活していくうえで一番大事なので、余裕をもたせた計画をしていたのだが、いつまでも保つというものでもない。
そこで最近の収支に合わせて、再度の計算をしてみることに。日本へ帰国するための交通費など経費一式を取り除けるおくならば、そうして残った現金で一体いつまでフィリピンに居られるのか。

帰国のための経費を、何らかのトラブルで便に乗り遅れてしまうことも想定し(過去に一度やらかしたことアリ、ローコストエアラインなので乗り遅れるとチケットはタダの紙切れになる。)、チケット代を2倍にみておいて、さらにパスポートやビザ(IDカード)の更新の費用も含めないといけない。
IDカードについてはまだ今年の分の更新がなされていないので来年の分と2年分計上した(それまでにPRAは再稼働するのだろうか?)。

計算すると(ケイタイはチャージ口がお亡くなりになったので使えず、紙に書いて手計算…)、2021年10月を超える場合は、16万円を取り除けておけばいいということがわかった。
残りの日本円は10万円。これでいつまでここで暮らせるのか。
直近の月間収支は4700ペソの支出に対し、収入(食品事業の売上げ)は2600ペソなので、2100ペソ(/月)の持ち出しとなっている。
なので、現在の生活スタイルが変化しないとすると、10000円を4500ペソと換算して、21ヶ月暮らせることが判明した。
なかなかいけると思ったが、医療費など突発的な出費があると、1ヶ月あたりの生活費が少ないため却って、暮らせる期間が急激に短くなるのであり、その点に注意が必要だ。

 

さて、そうしたところで丁度 年末商戦に突入した。
12月17日から子供のパヒギ攻勢が解禁され(「パヒギ」はちょうだい、の意。子供が夕方以降に各戸を回り、玄関口で歌を歌ってはお金をねだる行為。正式名称は知らないので私が勝手にそう呼んでいるだけ。キャンディ数個で体よく追い払われることもしばしば)、子供らの財布が潤っている。私も毎年それを当て込んで年末年始は販売に力を入れる。
今年は小屋の柵を作っていたりしたので、取り組むのが遅れ、24日からの販売となった。
直近の月間売上は2600ペソなので倍の約5000ペソとなれば4700ペソの支出をカバーして黒字に転じることができる。つまりそれなら手持ちの日本円を取り崩さずに、ずっとフィリピンで暮らしていけることを意味するのだ(!)。 夢の永久機関

さぁ、その24日と昨日25日の売上を発表してみよう

と、思ったけど本当に忙しいので(これから夕方の販売の準備がある。悠長にキーボードを叩いていては販売機会が逃げていく)、また明日か明後日に続きを書きます。

下は24日の売上金。

 

 

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フィリピンの特別退職者居住ビザ、SRRVの現在

さぁ、大変なことになった。いや進行形だから「なっている」、か。
私のフィリピンでのビザの種類はロングステイビザのひとつ、特別退職者居住ビザ(SRRV:Special Retiree Residence Visa)というやつなのだが、これを発行しているフィリピン退職者庁(PRA:Philippines Retirement Authority;観光省の傘下)というところが11月に入ってからこちら、その機能を全て停止している。表向きのアナウンスは、SRRVの新規発行をしばらくのあいだ中止します、ということで これだけ見ると、あぁコロナのせいかなとも思うが、ビザの更新(基本的には一年ごと)やビザのキャンセル(預け金の2万〜5万ドルは手元に返還される)といった業務も一切受け付けていないのだ。
コロナ禍で職員の多くがテレワークになっているとしてもこうした業務ができない理由にはならず、なによりそのテレワークの根幹と思えるEメールのやりとりに全く何のレスポンスもないわけで、ビザ保有者から見ると、「すべての業務を停止している」としか映らないのである(PRA事務所への直接訪問もメールでの事前予約が必要となっている)。現にFacebookのPRAのページには、当ビザ保有の多くの外国人が「更新をしたいがメールに一ヶ月返信がない」「コロナでフィリピンへの入国ができないためビザをキャンセルしたいが二ヶ月返信がない」といった問い合わせの類いのコメントが150件以上寄せられ活況を呈している(もちろんそれらに対するPRAのコメントは一切無い)。

実は、こうした業務の混乱は、既にフィリピン関連のニュースサイトなどで報じられているように、10月に開かれた予算公聴会で、当ビザで若い中国人が大量に(約2.8万人、発行全数7万人の ⅓ 以上)国内に入ってきており、国の安全保障のうえで問題がある、と上院議員に槍玉に挙げられたのが引き金となっている。オンラインカジノでの不法就労の件も)

この指摘を受けて、PRAの上部組織の観光省の方から年齢要件の35歳というのを見直せとのお達しがあった。
しかしこれでもまだ、PRAがすべての業務を停止するという理由にはならない。はい わかりました、50歳に引き上げますとすれば済むからだ。


政府の一機関の中でいったい何が起こっているのか。
私もこの10月で更新を迎え、9月中に更新料の入金方法を尋ねるメールを送ったのだが「計算にあなたのIDカードとパスポートが必要です。スキャンしたものを送ってください」という(必要性のよくわからない)返事を最後に途絶えている。Facebookを覗いてみたところ、上記のような状態で、私だけがこうした状況にあるわけではないようなので、催促のメールを出すことはそれ以降 辞めにした。
投稿の中には期限の切れた「SRRVのIDカード」は無効だが、パスポートの「SRRVスタンプ」は有効らしい、といったものもあったが、それだってPRAの公式見解ではない。
そうした事があってからもう2ヶ月近く。SRRV保有の邦人は4000人居るということから、計算上は既に400人くらいの日本人が、半死半生の期限切れ『特別退職者居住ビザ』を持って、生ける屍のごとくフィリピン国内をうろついていることになる。

Facebookを眺めていても「今日も業務を再開していない」ということ以外に情報が増えないので、100件目くらいまでコメントをトレースしていたが、それもやめてしまった。
フィリピンのニュースサイトで取り上げられることも少なくなってきたので、一次情報に当たってみるかと今回、「PRA・News」でググってみた。そこで新しくわかったことを挙げると、
・(私が思っていたより)PRAは強めに怒られたらしい
・実効性のある監視プログラムを作らないと「来年の予算が下りない」
・中国人の入国に関して、PRA内に賄賂など汚職がないか上院の調査が近日中に入る(?)
・(おまけ)韓国における将校の引退年齢が35歳だったため、それに合わせて1993年に引き下げられた(なんだそれ)

 

物の本に拠るとPRAは税金ではなく申請料と更新料で喰っているから職員は割りかし勤勉だ、とあったように思うが、予算も付いているらしい。

 


 

     ↓ おかんむりの上院議員

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       ↓ PRAに年齢見直しなどの指示を出した観光省のTop

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なるほど、若い中国人への懸念は本物らしく、今から年齢を引き上げるだけでは不十分で、既に発行している2.8万人の中国人の処遇をどうするかという点が残る。まさか中国を指定国として、その国籍の者を一括してビザ剥奪するというわけにもいかず(フィリピンなのでそうした強権的なこともあるかもしれないが)、妥当なところとしては、公聴会でも話のあった「監視プログラム」の策定ということになるのだろうが、これにしたって「日々の行動の監視」であって、婚姻ビザのように年一回のAnnual Report(何て発音するのこれ?)を、というわけにもいくまい。毎週かせめて毎月のレポートを提出させて、その2.8万人だか7万人だかの分量を職員が査読に当たる、ということになる。考えただけでも気が遠くなるが、作業もさることながら その人件費が追加で発生する、ということである。
しかし、ザルの目をどれだけ細かくしてもザルはザル、所詮は自己申告なのだから、そんなのは「監視プログラムとは認めない、と上部組織から突き返されることも十分ありうる。それなら、探偵業者を数百人規模で雇うか?  まさかね。

難題ではあるが これをクリアしないと予算が下りない、これは公機関としてはかなりの痛手ではないだろうか。組織としての方針が決まらないのに、日常業務なんかやってられるか、ということなのだろうか?
ちなみに 最近に期日を絞って検索してみたが、これだった進展は無いようだった。

 

私がひとつの可能性として考えているのは、コロナ禍でビザのキャンセルが相次ぎ、PRAの口座内で預かっている金の準備が追いつかなくなっているのでは?ということだ。汚職のある国なので預託金に手を付けた(コロナがなかったなら急激な払い戻しは発生しないため露見はしない。また、ビザ保有者が死去しても家族が返還請求(多大な時間と経費がかかるそうだ)をしなければ)返還しなくてもよい)か、もしくはそこまで酷くなくとも口座で大きな金額を遊ばせておくよりどこかに長期投資をした方が、として現在一時的に口座のお金が枯渇しつつある、というケースである。ビザのキャンセルだけ受け付けないというのはおかしいので、更新などの業務も含めて、投資先から引き揚げの話がつくまでのあいだ、休業を決め込んでいるとすれば現在の状況に一応説明がつく。これはひょっとすると、ちょっとした”取り付け騒ぎ”になるかもしれない(既になっている?)。

 

 

さて、このSRRV。5万ドルが返還されない”死神アイテム”となるか、空前絶後の発行となった世界トップの若年退職者プレミアムビザという”神アイテム”になるか。

というわけで、今週のお題#買って良かった2020 」。
申請料18万円、フィリピン国内への預金500万円、年次更新料4万円の「フィリピン特別退職者居住ビザ」、コロナ禍明けの際にはぜひ皆さまもお買い上げを検討ください(PRAが存続していれば)

 

 

 

 

 


  次回は「さぁ大変、手持ちの現金が少なくなってきた、コロナ禍のなか、日本にお金を取りに行って無事フィリピンに戻れるのか」をお送りします

日本人の勤勉さとフィリピン人のぐうたら加減に感謝

今週のお題「感謝したいこと」

 

 

早いもので私がフィリピンに来てからもうすぐで5年になります。来た頃は異文化の中で何にでも興味関心を持ち、ネットで調べたり考えたりしましたが、そうしたもののひとつに、なぜ一日の労働の対価が日本とこんなにも差があるのかというのがありました。

 

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 マニラの新聞店。猫を数えてみると新聞の銘柄より多かった…


フィリピンにも最低賃金の定めがあり、マニラ首都圏は500ペソ台ですが、ローカルは400ペソ前後、しかもそれすら守られていないことが多く、二食か三食ついて250ペソや300ペソというのはザラにあるようです。
仮に今、日本で働いて日給が9000円だとしましょう(日本を離れているのが長くなってきたのでこの額面がどのくらい妥当なのかわからない)。そして例えば、私の近所でチキンのドラムスティックのフライをを30ペソで売っている(やや小ぶりだが揚げたてはなかなかおいしい)のですが、これをフィリピンローカルの日給300ペソでは10本買えるというところを、日本の日給では、それをフィリピン通貨に替えると ざっくり4200ペソ、14倍の140本買える(!)という計算になります。

 

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 マニラで借りていたベッドスペース(1500ペソ/月)のC.R.(浴室兼トイレ)。 水圧は低く、ゴキブリは這い、床はぬめっている。水道管を通ってくるので井戸の水より冷たく感じるのがやや難か。 4、5匹の飼い猫はここでウンチするのでそのまま残っていることもあり少し臭い


なぜ同じ一日の労働をして(フィリピンにもゼブンイレブンはあるので、「コンビニの仕事」というのは日本と同様にある)、こんなにも多くの労働価値の差が生まれるのか不思議に思いました。東京と地方の時給の差が、という話が霞んで見えるほどです。
もちろんその差というのは、円を持ち込んで両替した際の為替レートに直接的には拠るものなのでしょうが、ではその為替レートはどうやって決まるのだろうか、とググってみました。私の見る限りではその通貨にどれだけ”需要”があるか、ひいては”信用力”があるかということでした。なるほど円はドル・ユーロについで信用力があり、ちょっとのことでは暴落(極端なのではジンバブエドル)しないものな。それに比べフィリピンのペソは政治や経済の混乱があったらその余波を受けやすい、と考えられているということでしょうか。

 

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 マニラの中規模ショッピング内のイートスペース。どの台も食べ終えたあとはこのような状態。ソースやご飯粒は散らかり放題。初めて見たときは唖然とした

 

こうした話は、二国間・多国間を比べるから出てくるのであって、日本が勤勉なだけでは成立しません。フィリピン人がさほど働かないというのがあってはじめて、私が丸々と太った10〜15本のバナナを50円弱で買える、という状況が生まれるのです。
というわけで、フィリピンの皆さまにも半分は皮肉で、半分は本気で感謝感謝、ひきつづき ぐうたらな働きぶりでいてくれれば、私の生活は安泰、というわけなのです。 

 

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 路傍に出現した奇跡の泉。 漏水率・盗電率という言葉がまだ生きている修羅の国、フィリピン。

 

フィリピンでピザ!?

今週のお題「ピザ」

 

私の、村で販売している主なメニューに「ピザ」が2種類ある。
なんてことはない、インドの薄焼きパンである「チャパティ」を「インジャンピッツァ」、皆さんもご存知、お好み焼きを「ジャパニーズピッツァ」と称して売っているのだ。
いずれにしても「チャパティ」・「オコノミヤキ」、では現地の子供は全くわからないのでそうして呼んでいるだけだ。

 

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写真はいちばん最近の「チャパティ」とカレー。ネット上のいくつものサイトや動画を参考にして作ってきたはずだが、改めて検索してみると、これはほとんど(原料も作り方も)チャパティに該当しない…。
打ち粉をするようなことを見たので、当時カレー粉のとろみ付けに小麦粉に代えて押し麦を使っていたのだが、チャパティの打ち粉の代用にすれば香ばしくなっていいのでは と思いつき、やってみたところ、香ばしさに加え、結構クリスピーな仕上がりとなっておいしくなった。さらにはテフロン加工のフライパンなんてものは持ち合わせていなかったので、アルミ製の中華鍋のようなものだったのだが、油を敷かなくても全く焦げ付かなくなった。仕上がるにつれ、端っこなんかは浮き上がってくるほどだ。
写真は自家用の時のもので、最新版は生地に甘酸っぱい桑の実と味わいのある芋蔓を入れ込んである。どちらも良い色合いである。生地はナンやチャパティの練るような固さはなく、それよりはホットケーキの生地に近い粘度である。どうせ焼ければ水分は飛ぶのだから、といい加減な考えで、扱いやすい粘度を求めているうちにどんどんゆるめの生地になっていった。押し麦を少し加熱したところに生地を垂らし、スプーンで外周へ延ばしていく。外周のキワに再び押し麦を振り掛け、もう一度生地を伸ばしてフタをする。
一般的な焼き方といちばん異なるのは片面焼きという点だろうか。ただし今は片面が焼けたらそれを浮かせて油を少量垂らしてひっくり返し、反対側を押し付けて焼いている。やはり少し油があった方が噛んだときに僅かだがジューシーな感じが出る。油で焼いた香ばしさと、麦の焼けた香ばしさのダブルでおいしい。
初めに垂らした中心側と後で伸ばした外周側に時間差ができるので焼けた生地にちょっとした分断があり、一人で食べるときは初めに外周側から剥がしてアツアツで食べる。塩と五香粉を入れてあるのでカレーの他にハチミツやチョコソースなどとも相性がよく、いずれのトッピングも子どもたちに人気がある。
そういえば以前は、ドライイーストを入れて発酵させたものを「ピザ」として売っており、手間と時間がかかるので8分の1カットを20ペソとして売っていたが、現在はそれを入れていないので15ペソで売っている。子供の日々のお小遣いは20ペソくらいなので、5ペソという要望に応じて1カットをさらに3つに分けて販売している。端のクリスピーなところが人気があるようだ。

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写真は少し前の、具の入っていないチャパティ。映っている子はみんな毎回買ってくれる。おかわりがあったりすると、おいしかったのかな と少し嬉しくなる。

 

 

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上の写真は1年近く前か、「ナン」として作って2回目のもの。緑豆を使ってのダルに挑戦してみており、つけて食べるとあっさりして食べやすい味で、どんどんいけたのを覚えている。
添えられているトマトソースも自家製で、20種類近くの原料を使って2〜3時間かけて作るものだ。もちろんフィリピンにもトマトケチャップなどは売ってあるが、あり得ないくらい砂糖が入っており、お金を貰っても食べたくないシロモノだ。

 

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これも始めの頃の「ナン」。硬めの仕上がりだったかな。熟したカラマンシー果汁をつけて食べても、素朴な感じで食べやすかった。緑豆の中の黄色いのはフィリピンのサツマイモ。
 

 

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フルーツピザというのも作った
ことがあったなぁ。カスタードクリームを作るのが少し手間だけどその分、おいしさは間違いない。男の子にカスタードを試食させると、おいしさのあまり 文字通り飛び跳ねて喜んでいた。もちろん私の腕がいいわけではなく、参考にさせてもらったレシピサイトのお陰である。1980年代なんかにフィリピンに来ていたら、こうした情報も無く、グーグルマップもなく、グーグル翻訳もなく、大袈裟な言い方ではなく生きていなかったと思う…。


 


 

 

そしてもうひとつの「ピザ」、お好み焼き。

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具材はイカ。それが手に入らないときは干しエビを多めに入れる。その場合でも自家製のウスターソースとトマトソースがおいしいので充分にお好み焼きとして通用する。というか2つの自家製ソースを味わってもらうためにお好み焼きを作っているようなものだ。もちろん単体でもおいしく、干し野菜を素焼きしたものをウスターソースにさっと浸してベジタブルバーベキューとして いつかメニューに投入してみたい。鶏の臓物のBBQが夕方の道端でやっているが、それなんかよりずっとおいしくヘルシーな自信がある。
キャベツの仕入れ価格によって1カット25ペソか30ペソ。イカに代えて豚肉のときは5ペソ値上げにする。

そして紅生姜はなんとオドロキの南国フルーツ味。生姜の辛味と、ナイショの調味料(?)の甘さの絶妙な出会い。これを食べる度に日本の皆さんに申し訳なく感じる。「日本よりおいしいものを食べてみんなに悪いなー」なんて呟きながら食べるのである。悪いのは私のアタマである。
まぁ、甘くて且つ赤色に着色できるモノなんてフィリピンで一週間も生活(買い物)していればすぐ見つかるので気になる人は是非フィリピンを訪れてください。

フィリピンに渡って2年目だったか、市のビジネス許可が外人には降りないようだったので、露店を強行するとどうなるか、というのが気になってしまい、本当に市場の夕市に手作りの台車で出店したことがあった。位置について用意をしていると、「プレジデント(代表者)」という恰幅のいいご婦人が出てきて許可証はあるの?とストップがかかった。まぁそうなるか、と片付けていると、今日だけはいいよと言ってくれた。

見慣れない中国人がナニか料理を始めたぞと、夕闇のなか 人垣が2重3重にできていく。40センチ近くの中華鍋で30センチ近くのお好み焼きが宙を舞ってひっくり返ると、「オゥ!ベテランー!」との声。 ソースも5種類かけて出来上がるが、いざその段になると一番乗りは腰が引けるのか、誰からも声がかからない。仕方ないので私がとりあえず一切れ食べるか、と紙皿に取ったところでオーダーがかかりそれからはずっと売れ続け、8切れはあっという間に売り切れてしまった。食べたのかおばちゃんが小走りで来たがもう品切れ。こうして一日だけのお好み焼き屋は閉店したのである。
店を開くにあたってネットでフィリピンでの事例を検索したのだが、ショッピングモール内に出店していたりしたのは、上手くいかず ほどなく撤退したよう。フィリピンの人は結構 食に保守的なようだ。その点、私は好奇心の旺盛な子供から攻めているので問題ない。
原料にしても、日本食料品店でお好み焼きソースを仕入れたりしていて、確かに日本と同じ味になるのだろうがそんなことでは原料費が高くついてしょうがない。お好み焼き粉も既製品を使っていたのかも。賃料にしても私の方はそんなものは存在したことがないのでずっとローコスト経営である。キャベツも高値のときは別のメニューに切り替えて、お好み焼きは作らない(レパートリーが多いとそういう事ができる)。徹底したコスト管理である。

 

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次回の村はリクエストのあった「インジャンピッツァ」を作る予定だ。


投稿の末尾に「フィリピンの闇」と題して、私の目で見た、耳で聞いた、ヒエ〜〜となる話を毎回お送りしていこうと思っていたのだが、長くなったので次回から。全50回くらいはいけるでしょうか。おたのしみに。

フィリピン、畑でごはん。

今週のお題「鍋」

 

最近、毎朝食べているのは「かんたん炊き込みカレーご飯」。

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アルミの鍋(釜)で、畑で竹などを薪にして炊いている。入っている具材はすべて自分の畑でその朝に摘んだもの。

 

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この日は、苦瓜、ストリングビーン(蔓豆)、カトゥダイ(地元で食用とされている白い花)、カボチャの花、芋の蔓、赤唐辛子、フェンネルの葉。 まぁ、毎日同じようなラインナップだけどね。

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それからタンパク質を摂るために、温泉卵も 空き缶に卵と水を入れて火の傍に置いて作る。このカトゥダイもそうだが、バナナやマンゴーなど フィリピンにはほとんど面倒を見ずに採るだけという農法が存在する。こうした作物がフィリピンのややぐうたらな国民性を支えているのだろう。

 

さて、塩も加えて炊きあがったご飯に、カレーパウダーと市販のウスターソースをかけて食べる。オイスターソースをかけても少し甘くなっておいしく食べられる。f:id:taippii:20201117082849j:plain

(↑ 左端のカレーパウダーの容器は西成で拾った麦焼酎のもの。フィリピンのプラ容器は密閉性がないので使い物にならない)

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食べてる途中で追加したのは糖漬けのみかん皮と桑の実。マニラのインドグロッサリーで買ったカスリメティを振って食べることもある。

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南国であり、雨天などよほど涼しくなければご飯が傷むので炊くのは二食分まで。そしてカレーご飯を作った日の昼食は決まってチャーハン。ゴマ油、五香粉、オイスターソース、干しエビ、白ごまなどを入れ、長粒種ということもあって毎回パラパラにおいしく仕上がる(ご飯がおこげになってしまったときは中華風雑炊にして食べる)。前にし村でも作ったところ、以前ロフトにぶら下げてあげた女の子は、(4時間かけて作っている)ビンカレーよりおいしいとのご発言を頂いている。 …マジかよ。

フィリピンの「フライドライス」というのは、冷やご飯に着色料たっぷりの輪切りウインナー、ニンニクと人参といった具が申し訳程度に入ったもので、味付けは塩と醤油を少しだろうか、くどい食べ物の多いフィリピンにおいては珍しく薄味である。きっと白ごはんと変わらない位置づけということなのだろう。まぁ、そうしたものと比べると私のチャーハンはおいしいということになるだろう。
フィリピン最大手の中華レストランチェーン「超群(チョウキン)」でチャーハンを食べたことがあったが、ゴマ油も五香粉も入っていないようで全くおいしくなかった。この店だけかと念のため店を替えて再び食べたが同様だった。ちなみに、一店目では長さ数センチの太めの竹串が混入しており、二店目は厨房にオーダーが通ってなかったらしく30分近く待ってみた、ということがあった。安定のクオリティである。

 

話が逸れてしまったが、この畑というのは以前 焼き芋を作った所で、実は今、私はここで寝起きをしているのだ。

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引っ越ししたのは10月末。以前の部屋を数日がかりで空っぽにした。畑も同じ大家さんの所有で、徒歩で2分ほど。遠くはないが、荷物が多く、その仕分けと運び入れにに数日を要した、ということだ。

引っ越しの直接の原因は、大家のおばちゃんとケンカしたことである。私の不在中、「逆さま草履」を勝手に焼却処分にしたのだ。f:id:taippii:20201120112049j:plain

以前にも玄関前の私物を勝手に捨てられており、この草履はゴミじゃないと釘を差しておいたにもかかわらず、この有様である。前々から小さな衝突はあったのだが、これ以上 私物に触れてはかなわないを引き払うことにした。

この逆さま草履なのだが、歩いてるだけで、新しい草履や、Tシャツやお金が貰えるという、ドラクエでいうと幸せの靴みたいなアイテムなのである。私はただ自分のお財布と環境への負荷抑制を目的にこうしているだけで向こうが勝手に貧しいと勘違いしてくるのだ。
もちろんその際、私はお金を持っている、貧乏じゃない、と説明を入れるが、そんなことで収集がつくものではなく(無理して見栄をはらなくてもいいよ、みたいな顔をされる)、問答はほどほどにして、くれるということなのだから貰うことにしている。十分なお金があるのに見すぼらしい格好や生活をするとは、「宵越しの金は持たない」というフィリピンの人には夢にも思わないのだろう。

 

さてその引越し先の「家」だが畑の地内に掘っ立て小屋を自力で建てたのだ。フィリピンで小屋はクボクボと呼ばれる(いま検索してみたところ、竹を主に使って作った茅葺きの小屋を指すようだ。私のはただの小屋か?)。荷の搬入と並行して少しずつ屋根を作っていった。

建築の方が遅れ、屋根を上げたのは10月末日の27時…。荷物運びも合わせ、最後の日は普段の数倍の量の仕事をしてクタクタになり、次の日は一日中横になっていた。

以下、建築の工程。

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草むしりをして地均しする。

 

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拾ったシーツを切って縦長に開いて目隠しに使う。右側には村でお隣さんの改築のときに出た不要の竹材を張った。

 

屋根の製作に取り掛かる。
まず初めに、使う竹の材料を全て括り、片手でその片端が持ち上がるか試してみた。なんとかいけそうで、要領よくやれば一人で屋根を上げて柱を差し入れられるだろうと見積もった。

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竹を、海岸のリゾートの建築現場で拾った針金と、薪の角材の灰から拾い上げた釘で組んでいく。

 

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茅を乗せようと思ったのだが防水能力がよくわからないのと工程を省くため、ビニールシートを使うことにした。下にはシートが弛んで雨水が貯まるのを和らげるため浜で取った昼顔?の蔓を張った。大きな弦楽器みたいだ。

 

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コロナ禍のなか、店舗窓口の遮蔽用として文具店で売っていたビニールシートを張る。仕入れ価は150ペソ(300円ちょっと)。建てるにあたって支出したのはこれだけである。あ、幅広のセロテープも買ったのだったか、25ペソ。

さらに蔓を補うためにバナナの葉っぱを配する(忙しかったので写真なし)。ここまでくるとバナナの葉が経時でどういった変化になるのか、私も見たことがないので、吉と出るのか凶と出るのか全くわからない。

 

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シートだけだと紫外線ですぐに傷んでしまうので、これまた海岸や道端で拾ったシーツを何枚か縫い合わせて被せる。それを結びつけるのは浜で落ちている漁具用のビニールワイヤーである。これは耐候性があるよう。
そして最後に屋根の片方(写真奥側)を持ち上げ、片手でキープして、空いた手の方で柱を引き寄せて、予め掘っておいた地面の穴に差し込み、屋根の角をV字カットしておいた柱のアタマに乗せる。屋根と柱が倒れないように注意しながら反対側へ移動し、2本目の柱も同様にして片側を完了。

 

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3本目、4本目もそうして屋根を一人でなんとか上げることができた。
バナナ葉などを加えたことで、持ち上げられるギリギリの重量になっており、一歩間違えれば、日本人が小屋の建築中に圧死、なんてニュースになり兼ねない。日本で働いてた仕事の修羅場を思い出したりした。

柱が傾いているように見えるが、現在は修正して竹などで外の柵やカトゥダイの木と連結してある。既にこれまで二度大きな台風が来て結構な風が吹いたが、周りの木々が風防となったこともあって、被害は全く無かった。これで大丈夫なら当面大丈夫だろう。
ただし、虫やネズミがビニールを食い破ったりしたらすぐに雨漏りとなるので、濡れて困るものは別途ビニル袋に入れておかなければならない。

 

ともかくこれで、長年の懸案事項だった高めの家賃(2000ペソ)を300ペソに抑えることができた。フィリピン人平均だいぶ下の支出で生活を送る、ということになっていると思う。

気になる生活の「質」の方は稿を改めて。