日本に迷って



三年前、私は日本で道に迷っていた。もちろん物理的ではない方の道だ。

私は二回転職したもの、同じ職種で十年ほどの経験を積むことができ、おかげさまで最後の方は人様程度のお給料がもらえるようになっていた。ただ一方で公私(という言い方はあまり好きじゃないのだけれど)でいろいろなことがあって仕事に対するモチベーションが、自分の思っているそれの下限になんだか近づいているような気がするようにもなっていた。
それの原因というべきか結果というべきか、そうしたものはいくつかあって。ひとつは、私の職種はお客さんの困りごとを直接解決する部類のものだったので、お客さんの喜んでくれる姿が大きな励みになっていたのだが、それが少しずつ薄れていったこと。
それからもうひとつは、お金というものの価値がよくわからなくなってきたことだ。中2のときに教室の床の木タイルの隙間に落ちているシャー芯で済ませられるんだと気がついてから一度も替芯を買うことなく学業を終えたくらいにドケチであった私は、成人後も本とマンガとCDくらいしか定期的な支出は無く、実家住みだったこともあって、給与は銀行の方にどんどん貯まっていった。しかしいつのころからかそんなに貯めてどうするの? というふうにも思うようになった。もらったお金で何を買いたいのかな、そもそも欲しいものはあるのかな、あったとしてそれはお金で買えるものなのかな。
そこそこの額面がたまっている預金通帳を前にしてコレジャナイ感が頭をもたげてきた。この感じはどんな状況に近いのかな、今月から給与の支払いが日本円ではなくインドのルピーになりました、お買い物の際はどうぞインドで、とか、パチンコで大当たりしたけど(私はパチンコはしないのだけれど)景品交換所は隣の県にございます、とか、といったあたりかなぁ、と仕事の合間に考えていた。
モチベーションの低下を感じるなか、仕事に対して意識しないうちに手抜きが出てくることを私は恐れた。手を抜こうと思えば多少は抜ける職種である(実際、技術職のくせに、手ではなく口で仕事をやっつけてくる輩もごくごく一部ではあるが居た)。私は古いタイプの人間なのか、仕事そのものへの礼儀というものを持っていたのかもしれない。当然その「節度」を下回る状態で仕事にあたるわけにはいかない。


マニラ首都圏パサイ市内にて。鍋底の穴を薬品も使って溶接する高齢の職人

そしてその、知らずしらずの手抜き感が人生の手抜き感に通底しているように思えた。でも「人生の手抜き」ってなんだ?

モチベーションの低下に伴って、最後に決定的だったのは、これは予感とでもいうのだろうか、このまま仕事を続けていると、全く別の方向から思いもしなかった厄災がやってくるのではないかという漠とした感覚を持つことになったことだ。技術的な失敗や作業中の事故などではなく、大きな交通事故を起こしてしまうとかもっと別の類いの…。
ここにはあまり長く居られないな、そうぼんやりと考えた。

時々、ニュースを見て思うことがあった。巨額の詐欺事件や宝石店荒らしの逮捕の報道があったりすると、なんで逮捕されるまで悪行を続けたのだろうか、と。慎ましく暮せば一生いけるくらいになったところでやめておけば捕まらなかったのかもしれないのに。なんてくだらないことを考えていた。
しかし私にとって今がその「足抜け」の時ではないのか。


出番の時間を控え、椅子に座っているクラウン

その年の九月の売上げは自己の最高を更新し、私の会社の給与体系は基本給はあるものの歩合制だったので、この売上げはそのまま最高の月給となって私の手元に渡った。夏の繁忙期が終われば、少なくとも来夏までこれが更新されることはないだろう。そのことを思うと、ひとつのファミカセを全クリしたような、つまり達成感と終わっちまった感が混ぜこぜになったような感じがした。
ファミコンにはウラ面があったけど、人生にはウラ面ってないのかな。一本のファミカセをまた始めからスタートするけど、ウラ技を使って全く別の面に行ったりするやつ。画面がバグったりして、得点や敵を倒すのが目標ではなく、バグった面を切り開いていくことそのものを楽しさとして享けるというような。
その夏の前後ごろからか、図書館でフィリピンに関する本をいくつか読んで物価差は五倍になるということを私は知っていた。つまり円を持っていけば単純計算で五倍の買い物をできるということだ。これをファミコンに当てはめればバグ技だ。現地の人と同じような生活水準でいけば、一生は無理でも年金が出るころくらいまでは保つだろう。言葉はもちろん、文化や考え方も随分違うらしい。うん、これはウラ面だ。
私が学んだところに拠ると、私たちは様々な「物語(虚構)」、つまり本やドラマやアニメなどに(さらには友人関係やコミュニティについても)一時的に「没入」して楽しんで、それが終わる都度に抜け出しているが、唯一その主体である「私」という「物語(虚構)」からは抜け出せないという。それは本当だろうか。人間は社会的な存在であり、周囲のひとの見方や関わり方によって「私」という人間が浮かび上がってくる。それならばその周囲の「役者」がすべて刷新となった場合は、また違った「私」が立ち上がってくるのではないのか。
ウラ面に潜り込もう。ゲームのルールを変えよう。ルール自体がゲームとなるように。
そう私は決めた。

10代の頃から少し気になっていた東南アジア念頭に、タイやベトナムシドアルジョの泥火山も魅力的だったけど、英語圏で距離も一番近く、ちょっと危険な香りもあるフィリピンを選んだ。

十月末で退職したいと会社の人に伝えたが、まだ業務量が多く次の新しい人も見つからないからと十一月末となった。さらに十二月末日より一日でも前後すると自分で税務関係の申告をする必要があるから、という話を持ち込まれ、真偽を確かめるのも手間だったので、それに従って大晦日まで業務をこなした。

年が変わって一月、パスポートをネットで下調べして取得し、二月の便でフィリピンへ飛んだ。初めての海外旅行である。同行者も居なければ現地にツテがあるわけでもない。
マニラ国際空港のエントランスを出た私は、南国のむわっとした暑気に当てられ着ていたフリースを脱ぐ。そこからの一週間はなかなかのハードモードだったのだが、その話はまた別の機会に譲ろう。


「道に迷う」というのは、まず地図や思い描いたものがあって、それから外れてしまって初めてその言い方ができる。
地図も予定も計画もないこの国では、「迷う」といったことはできない。 ただ今日があって明日があるのだ。

 

淀んだ川に常緑を挟んで向かい合っている遠景は陽炎かそれとも…